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見出し「プエブロ」号拿捕を回顧する         (2016年3月17日)
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平壌の大同江に係留されているプエブロ号



拿捕されたプエブロ号の乗員(1968年1月)



米国政府の謝罪文


プエブロ号拿捕の経緯を説明する
バク・インホ氏(左)



プエブロ号の艦内を案内する
キム・ジュンロ ク氏(右)




寛大な処分への感謝文を作成中のプエブロ号の乗員
 前回の“米学生「謝罪」会見とプエブロ号事件”では多くの平壌市民が48年前の情報収集艦「プエブロ号事件」を思い起こさせたことを紹介した。プエブロ号は今も祖国解放戦争勝利記念館の脇を流れる普通江に展示されている。
 祖国解放戦争勝利記念館は1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争に関する詳しい事実資料や武装装備などが展示されている。その展示品の中でも最大級のものがプエブロ号である。 
 当時、プエブロ号拿捕の戦闘で活躍したバク・インホ氏とキム・ジュンロ ク氏はいま同館の講師を勤めている。拿捕に大きく貢献したとして2人は共和国英雄を受賞している。2人に拿捕当時の話を聞いた。
<問>:当時の職務は?
<バク>当時、私は駆潜艦の政治副艦長を、キム氏は機雷分隊長を務めた。あの時、私たちをはじめ7人が艦船に乗った。
<問>プエブロ号が米国のものだったのは最初から知っっていたのか?
<バク>いいえ。20日17時ごろ、駆潜艦に乗って巡察していたわが海兵らは、海上警戒線と間近い公海上にプエブロ号が浮んでいるのを見つけたが公海上にあるので取り締まりはしなかった。
<質問>ではどうして拿捕したのか?
<キム>23日、巡察の時、案外に同艦船が麗島から7.6マイルしかならない所に浮んで いるのを見つけた。われわれは国籍を明かすようにシグナルを送った。
<バク>ところが国籍は明かさず、水路を測量する船だと名乗り、急に公海上へへさきを向けた。そこで2分以内に国籍を明かさないと射撃すると脅かすと星条旗をなびかせた。敵を制圧し、艦船を拿捕するつもりで7人で決死隊を組んで80人余りの米兵を捕まえた。
<問>米軍を目にした時の感情はどうだったか?
<バク>瞬く間に敵を捕まえたらトラでも殺したような気分であった。しかし、港に着いた時、顔が真っ暗になってぶるぶるふるえる敵の格好を見るとトラではなく、オオヤマネコみたいだった。
<問>この前、VOA放送の報道によるとアメリカのコロラド州議会でプエブロ号の送還を促す決議案を採決したそうだ。どう思うか?
<バク>プエブロ号は戦利品なので宿敵の米国とはこれ以上論じる価値がないと思う。
<問>さらに何か言いたいことは?
<キム>われわれは栄えある金正恩時代を生きている。元帥の度胸は世人が認めている。元帥の胆力によって米国は必ずやプエブロ号の運命を免れないに決まっている。米国家安全保障局の作成した秘密文書にはプエブロ号事件について米国の情報分野において大失敗作と記してある。歴史は遠く前進して来たが、米国の極端な敵視政策によって朝鮮半島における緊張悪化は続く一方だ。事件からおよそ50年が経った今日、米国は水爆さえ所有した朝鮮の強大な威力の前で、朝米関係史の深刻な教訓を再び刻みつけるべきであろう。

 プエブロ号が北朝鮮の東海岸、元山の軍港から平壌に曳航されたのは故・金正日総書記の発案だったらしい。1995年2月5日、海軍部隊を視察した金正日総書記は、軍港に抑留されているのを見て、米国の朝鮮侵略の象徴、「シャーマン」号を焼き払った大同江の近くに置くことを指示した。
 1999年10月、プエブロ号は朝鮮半島を半周する経路で東海岸から西海岸に曳航された。もし、米国が韓国最南端を通過する辺りでプエブロ号奪還の実力行使をすれば不可能ではなかったはずだ。
 しかし、1999年はクリントン政権下でウィリアム・ペリー特 使が平壌入りし米朝交渉が活発な時期だった。北朝鮮の外交を巡っては「綱渡り的」、「したたか」と評価が別れるが、プエブロ号曳航の経緯をたどると「したたか」で大胆不敵だと思う。


(AsiaWatch Network 村上 知実)














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