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見出 特別供覧「金日成主席と日本」144.私たちのやり方で国の建設を  146.共通の認識と理解を持つとき  
日)

9144.私たちのやり方で国の建設を

 前田康博氏は、同志社大学経済学部を卒業し、毎日新聞社に入社した。東京本社編集局外信部記者、ソウル支局長を経て編集委員を務めた。朝鮮を6度訪問し、著書に『大転換期の朝鮮半島』などがある。氏は、1991年9月9日、共和国創建43周年記念行事に参加し、その2日後の11日、金日成主席の接見を受け、主席の招待で思いがけぬ午餐会に参加した。後日、氏は午餐会における模様を次のように感慨深く振り返っている。
 「朝鮮労働党党中央から『金主席とあなたとの接見が明日に決まりました』と連絡があったのは9月10日だった。金主席にお目に掛かれるとは予想もしていなかった。接見にあてられた錦繍山議事堂は平壌の郊外にあり、中庭には丹頂鶴が優雅に歩いていた。豪華なシャンデリアがまばゆい広間に姿を現した金主席に、『お目に掛かれて光栄です。お元気で何よりです』とあいさつすると、『カムサハムニダ(ありがとう)』と分厚い手を差し伸ばした。力強い握手だった。おりから訪朝した久野忠治・前日朝議連会長の愛知県友好代表団と一緒に午餐を差し上げたいという係員の説明があった。金主席は一番先に立ち、広間を横切って午餐の間に入った。主席の右隣に久野氏、左に筆者が座ることになった。
 金主席は椅子に座るや『九州で大きな被害が出ているそうですね』と雲仙普賢岳の噴火について話題を始めた。久野氏が『住民がたいへん困っています』と天候の話題になった。金主席はその直前の8月20日から東海岸寄りの咸鏡南北道を『現地指導』した。浅黒い主席の顔は現地を歩き回った日焼けそのものだった。つばの広い帽子を被り、大小の協同農場から、大型で近代的な興南肥料工場、茂山鉱山など鉱工業の現場をくまなく駆け回った様子は連日、夕方のテレビニュースが放送していた。
 共和国では1987年から93年まで第3次7か年計画を実施しているが、穀物生産の最終目標を1500万トンに設定しており、順調に増産計画を進めていることが分かる。独特の自立経済路線をとる同国にとって、順調な農業生産はすべての建設計画の基礎条件となる。『食料を外国に依存しない』ことは、民族の自主性を強調する金主席の諸政策の中でももっとも重要な原則であった。宿舎になっている蒼光通りの高麗ホテルの前には、シクタン(食堂)と呼ばれる料理店が並んでいるが、数年前までは店内の客も少なかったのに、いまでは昼食時から夕方まで一般市民で賑わっている。遊園地や郊外の広場でも、行楽にきた人たちが広げている弁当の中身もぐっと豊富になった。灯油コンロの上で、焼き肉をしたり、ハマグリを焼く職場のグループもあり、食糧の受給はまず量的には十分な線に達しているとみられる。
 共和国では『食・衣・住』の順に人民生活の向上を図る方針を打ち出しているが、金主席は『平壌の楽浪区域に2万戸の住宅街である統一大通りを建設していますが、もう見ましたか。まだ約2万世帯が1〜2DK の狭い住宅に住んでいるので、広い部屋に早く移したいのです。そこで今年は公共施設の建設をいっさい中止し、すべて住宅建設にあてると金正日書記が決定しました』と言った。金主席はわが国ではもう食糧増産の域から、住生活の質向上に重点を移していると語り、『私は男はつらいよ≠フ寅さんシリーズを全部見ましたが、日本の住宅事情もたいへんですね』と知日派の一面をのぞかせる。
 久野氏が『日本では土地の値上りで、もう若い人たちが家を持つことはむつかしい。共和国がうらやましい』という。話はソ連・東欧情勢に移った。わずか3週間前に起きたソ連崩壊の直後だけに、筆者はなんとか金主席の口から直接、見解を聞きたくてうずうずしていたところだった。ところが金主席自ら口火を切った。『モスクワで雨が降れば、自分の上には降ってもいないのに、傘を差すような人たちがいました』軽妙な比喩に自らも大笑いした後、そのような自主性の欠如が東欧社会主義国の崩壊につながったと述べ、『私たちはソ連の事態をみても、体に合えば消化し、一度口にいれても胃が受けつけなければ、吐き出せばよいと考え、ウリシク(我々の方式)の社会主義建設路線を堅持してきました』『私たちは(ソ連を軸とした)ワルシャワ条約機構にも、コメコン(社会主義諸国間の経済協力機構)にも参加しませんでした。当時、多くの国々が社会主義共同体万歳≠叫びましたが、いまやすべて消え去ってしまいました』と両手を広げ、『どこにいます?』というジェスチャーをした。
 『ソ連共産党解体の日、金正日書記は次代を担う青年たちにウリシクでやろうという書簡を送りました。この方針は正しいと思います』と語を継いだ。共和国では、8月18日のモスクワ政変からソ連邦解体まで一連の動きを『ソ連事態』と呼び、党機関紙『労働新聞』や日々のテレビニュースでもモスクワで展開されている事実関係の報道を行っていた。8月25日、ゴルバチョフ大統領が共産党書記長を辞任し、自ら74年にわたるソ連共産党の歴史に終止符を打った。長年、友好党として深い関係を継続してきた共和国の衝撃は決して小さくなかったと思われる。だが共和国はソ連と異なり、これからも朝鮮式社会主義路線を堅持する意思をいっそう固めた。主席の言及した金正日書記の書簡は、今年初めて8月28日を『青年の日』と定め、この日を記念して発表された『青年は党と領袖に限りなく忠実な青年前衛となろう』という論文である。その中で、『わが国での社会主義偉業は、偉大な主席の指導のもとに朝鮮革命の第一世代の青年である抗日革命戦士たちによって開拓され、革命の第2世代の青年たちによって立派に継承され発展した』ことを強調、『われわれは革命を続けて、分断された祖国を統一し、チュチェ革命、社会主義の偉叢を最後まで完成させねばならない。この課題が青年の肩にかかっている』と革命遂行を呼び掛けている。
 金主席はソ連事態の説明をつうじて、金正日書記が国政全般にわたって指導していることを強く示唆した。そして『私たちは外国に向け、わが国を宣伝しようとは思っていません。静かに私たちのやり方で国を建設して行きたいと思っています』とも語った。これは共和国がソ連激変の影響を大きく受けて、混乱しているという西側諸国の意図的な′ゥ方に対し、『朝鮮式社会主義路線の堅持』にいかに強い自信を抱いているかを示していた。
 話はますます聞き逃せない内容となった。『主席と金正日書記がいつか日本を訪問される予定はありますか?』と質問すると、『カムサハムニダ。ぜひ行きたいですね。朝日国交が実現したらですが……』と言った。
『朝鮮の統一については、どのようにお考えをお持ちでしょうか』『日本は朝鮮半島に36年間食らいつきました。その後、米国が46年間も食らいついています。よほど南朝鮮は脂の乗った旨い肉なのでしょう。当分米国は(南朝鮮を)放しはしないでしょう。だが日本が去ったように、やがて米国も去る時が来るでしょう』文章にすると強烈な言葉だが、実に洒脱な表現でさらりと言ってのける。日本語での質問に、金主席はかたわらの通訳を待たず、答える。日本語は十分に理解されている様子だった。
 『日本はいまや世界一の経済大国になりました。そして最大の債権国でもあります。日本人民の労働の成果です。だから最大の債務国に転落した米国に、もうお辞儀をする必要はないじゃありませんか。もう日本は独自の判断で行動するべきでしょう』8月末、北京の第5回日朝国交正常化交渉が、日本側によってつぎつぎ難題を持ち出され、進展なく終わったばかりであり、主席が日朝交渉にこのように直接言及したことも初めてだった。翌日、『労働新聞』 に主席と筆者が並んだ写真が掲載されると、どこへ行っても『チュッカハムニダ(おめでとうございます)』という祝福攻めにあった。見知らぬホテルの従業員や、国際電話の窓口の係員までが握手を求めてきて、興奮した口調で、『私たちはお会いできないのに、うらやましい』と異口同音に言った。一般市民が金日成主席をどのように受け止めているかがこの一言で、理解できるような気がした」。

146.共通の認識と理解を持つとき

 1992年3月31日、金日成主席は『朝日新聞』編集局長松下宗之氏と会見し、その質問に回答を与えた。
 「あなたがたのわが国訪問を歓迎します。『朝日新聞』はこれまでわが国を紹介するよい記事を少なからず掲載してきました。それに対し、あなたがたに謝意を表します。これから、編集局長先生の質問にお答えすることにしましょう」。
 ここで主席は朝日国交正常化の問題と政府間会談の展望について次のように語った。
 「わたしは朝日国交正常化の歴史的意義と、それを実現するうえでの原則的問題について再三述べています。現在、朝日国交正常化のための両国政府間の会談は相応の進展をとげていませんが、それは、朝日関係改善の意義と、これに関連した原則的問題にたいする共通の認識と理解の不足にあるようです。朝日両国のあいだに存在する旧時代の遺物を清算して善隣友好関係を発展させることは、両国人民の共通の要求であり、これは自主、平和、親善を志向する現代の潮流にも合致します。そのため、先見の明ある政治家は、この問題について共通の理解をもち、朝日関係を改善するため積極的に努力しています。
 朝鮮労働党と日本の自由民主党、日本社会党が合意し発表した共同宣言は、ほかならぬこうした共通の理解と努力の結果として生まれたものです。これから時間がたつにつれ、より多くの人がこの問題にたいして正しい理解をもつようになり、広範な政治家と人民の支持声援のもとに朝日国交正常化の問題はスムーズに解決されるものと考えます。わたしはこの機会をかりて、朝日国交正常化と朝日両国間の友好のために誠意ある努力を傾けている日本の政治家と人民に心からの挨拶を送ります」。