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見出し特別供覧 「金日成主席と日本」  15.主席に贈った姫のし  
日)

 人間は、心惹かれるところへ行くものである。日本の著名な文筆家西谷能雄氏はその体験者の一人である。明治大学卒業後弘文堂に入社した西谷能雄氏は、編集部長当時、まだ無名の作家木下順二氏の『夕鶴』の出版をめぐり会社と対立して1951年弘文堂を辞職し、退職金をもって買い取った『夕鶴』の紙型を処女出版とする未来社を設立して社長に就任した。筆をもって人生の道を歩んできた氏は、並はずれた願望を抱いた。希世の偉人金日成主席になんとしても一度会うことであった。
 その願望は遂にかない、平壌を訪れた氏を乗せた車は内閣庁舎に向かっていた。1970年6月23日午後5時30分きっかり、車は内閣庁舎に到着した。エレベーターに乗ると、なんとも名状しがたい香りがエレベーター一杯に漂っていた。床に真紅のじゅうたんが敷きつめられ、真白の覆いのかかった低い椅子が置いてあった。隅の方に電話機があって、たいへん珍しいと思って見回していると、エレベーターは早くも停止して扉があいた。扉を出ると、そこに金日成主席がにこやかに立っていた。主席が扉の外で待っていようとは夢にも考えなかった氏はすっかりあわてた。主席はやにわに手を差しのべて力強く握手をし、待ちかまえていたカメラマンに、すぐ記念撮影をしようと促した。しばしば写真で見てきた主席ではあったが、こうしてじかに会うことができた氏の一行は夢を見る思いだった。

 後日、氏は「金日成首相の、どっしりした重味のある体躯と、満面笑みをたたえた人なつっこい顔がわたしのすぐ横にあった。この瞬間をどんなに待ち望んでいたことだろう。共和国への招待が決定してから、また平壌に到着してから、思えばわたしたちの心からの願いであった。今ようやくそれが実現したのだ。直接お会いできて、握手をかわすだけで、わたしの望みはすべてかなえられたといってもいい。それは本当に感激の一瞬だった。……首相は無造作にわたしたちのところへやってきてケースを差し
出し煙草を勧めてくださった。さてこの煙草を吸ったものかどうか随分迷った。そのときわたしは、チラッと、かつての『大日本帝国』の恩賜の煙草を思い浮かべた。折角頂いた煙草をそのまま吸ってしまうことがなんとなく惜しい気がした。日本にもちかえって、首相が勧めてくださった煙草です、といって朝鮮総聯の人たちにあげたらどんなに感銘深く喜んでくださるだろう、そんなことを考えた。しかしやはり吸うことにした。……前のテーブルにおいてある茶菓子もしきりに勧めてくださったが、この方はついに手を触れなかった。やはりあがっていたからであろう」と述懐している。
 氏は、主席が会見で話したことをできるだけくわしく、正確に書きとどめておこうと思った。それは一つには、自分にとって歴史的な事件となったこの日の会見の模様を自分自身のためにも残しておきたいと思ったのである。もちろん、共和国について、金日成主席の人柄について、できるだけ多くの日本の人民と支配層に知らせたいという願いがそこにあったことは言うまでもないだ
ろう。
 主席は一行に向かって、もっと早くお会いするつもりだったが、御承知のように、外国の客人が入れかわり立ちかわり来訪してなかなか会見の予定が立てられなかった、そのためにあなた方に会うのがこんなに遅れてしまって、本当に申し訳ない、あなた方のことは総聯の韓徳銖(ハンドクス)議長からも、是非会ってくれるようにと言われていたから、是非会うつもりでいたと言い、こう続けた。
 「シアヌーク殿下は、私の旧い戦友であり親しい友人です。彼は今非常に気の毒な立場におかれている。それでしばしば彼と行をともにしており、今も旅行から帰ってきたばかりです」。一国の領袖であり、多忙を極めている金日成主席が、外国の一介の民間人にるると言い訳をすることに驚いた氏は、会ってくれただけでも感激だったのに、誠実をきわめたその事情説明に大きなとまどいを感じ、そのような人間味ゆたかな誠実な指導者が他のどこの国にいるだろうかと考えた。
 西谷氏は数年前自分がなめた苦い経験を思い出し、「勝てば官軍、負ければ賊軍」となる商売の世界、人情紙より薄い人間社会にあって、なんと美しい優しい心根であろうかと、笑いながらたんたんと語る主席の言葉に、人間の真実を見る思いがした。主席は、ついでベトナム、ラオス、カンボジア等インドシナ半島の政治的・軍事的緊張関係と情勢のきびしさについてくわしく語り、朝鮮人民はこの闘争を積極的に支持し、援助の手を差しのべなければならない、アメリカ帝国主義をアジアから追い出さな
いかぎり、アジアの平和は絶対にありえないし、アジアの平和はアジア人民自身の手で守らなければならないと、力をこめて語っ
た。
 西谷氏はその時の感想を次のように述懐した。「とても58歳とは思えないその若々しさ、顔だけみていると、あんな声はとうてい出そうもない。左右に、時に前後に、あの頑丈な身体を大きくゆすりながら、時に深々とソファーにもたれかかり、何の秘密もないような、おおらかな話し方、全くこだわりのないあけっぴろげな話術は、人を惹きつけるに十分だ。思うに日本帝国主義との20数年間にわたる抗日武装闘争、独立後間もなく起きた祖国解放戦争(朝鮮戦争)、その中にあって、たえず人民と軍隊を叱咤激励してきた、その戦いの歴史があの声の中に深くこめられているのだろう。そうとしか考えようがない。あの柔和な容貌からは、少なくとも表面的には革命の闘士としての面影は、微塵も見出すことはできなかったし、また誇り高い一国の宰相・指導者として、虚勢などは一カケラも見当たらず、まさに庶民そのものであるといっていい。内に烈々たる闘志を秘めながら、少なくとも外に柔らかく、内に剛毅な精神を保持しているのであろう。……首相の話術はきわめて具体的で説得的で、たくみであった。原稿などはもちろん持たず、資料のメモさえ一つもなしに具体的に数字をあげるのに驚いた。実にいい記憶力というほかない。短く区切って、すぐに通訳を促すあたりは、つぼを心得たものである」。
 主席は、アメリカ軍、南朝鮮軍との海と陸における小戦闘についてくわしく述べ、それは年に数千回もあるが、その主なものだけがマスコミに報道されているとし、残念ながら国防費はいまなお大きい、もし緊張がなくなれば人民のための建設に向けられるのに、とつけ加えた。他にも青少年の教育問題、軽工業に力を入れる問題、南北朝鮮の統一問題について述べた後、1週間滞在を延ばしてゆっくり体を休めてはどうか、日本へ帰れば、また忙しくなる、遠慮しないでゆっくり休養していくように、と一行に勧めた。さいわい明後日25日は、平壌で大きな市民大会(南朝鮮からアメリカ軍を撤退させるための平壌市民集会) があるが、 それも見物してはどうか、それを見物したからといって、日本の警察があなた方をつかまえることもないだろう、と言って笑った。1時間半に及ぶ会見も、もはや終わろうとしていた。主席は一行に、船は不便だし時間もかかる、モスクワを経由して帰れば早くて便利だと強く勧めた。これに対し西谷氏は、平壌に来るのに私たちは数日間を費やした、だから航空便も必ずしも便利だとは言えない、飛行機で直行すればわずか2時間で来られるのだから、一日も早く朝鮮の統一を実現して、2時間で来られるようになることを私たちは心から願っている、と語った。

 深くうなずいた主席は、ここでよど号のことを切り出した。――実はあの事件のことで私たちは困っている。招かざる客の扱いに苦慮している。全く迷惑な話だ。事件が起きた時、私は平壌の近くの田舎町にいた。そこへ現地から電話がかかって事情を
知った。その折、日本から来た山村という次官がふるえているという。どうしたらいいかと指示を仰いできたというわけだ。われわれは帰りたいという人間をとどめておくようなことは絶対にしない。帰りたい人はいつだって自由に帰す。飛行機は日本のものだから返すのは当然だと思ったから返したまでだ。学生たちはこのまま日本に帰せば直ちに警察につかまって刑務所に入れられることは間違いない以上、彼らを簡単に帰すわけにはいかない。もちろんわが国では、彼らに働いてもらわねばならないほど労働力が足りないわけではないし、また残念ながら彼らを収容する刑務所も用意されていない。彼らにも親兄弟があって帰りを待っていることだろう。できるものならこっそり帰してやりたい気持ちもないではないが、実際問題となればなかなかむつかしい問題がある。また外国へ送ることも考えてみたが、これも国際法上、外交上きわめて困難である。とにかく厄介な問題でその処置に困惑している。迷惑な話だ。しかしいつまでもこのままにしておくわけにもいかないので、目下関係当局にもっといい方法を検討させている――西谷氏はこう答えた。
 「私は日本政府の代表でもなければ組織の代表でもなく、日本人民の平凡な一人にすぎませんが、率直に申し上げます。このたびの事件について首相ならびに共和国政府のとられた寛大な処置に対して、日本人民の一人として心からお礼を申し上げるとともに、御迷惑をおかけしたことに対しても心から深くお詫びします。このたびのみごとな御処置については日本の全人民は、保守的な人間も含めて大変感謝しています。このことによって、共和国への日本人民の理解はさらに一層深まったものと私は確信しています」。                                       
 会見はこれですべて終り、主席も彼らも腰を上げた。この時、西谷氏はつかつかと通訳の所へ歩み寄った。室内には一瞬異様な緊張がただよった。人々はかたずをのんで、何ごとが起るのかと危ぶんだ。だがそれは一瞬の出来事だった。
 「これは私の親しくしている日本のすぐれた劇作家・木下順二さんの、今年92歳になるお母さんが、首相の長寿を祈って、真心をこめて自分の手で作ってくださった姫のしというものです。これを是非、首相に差し上げて頂きたい。
老母にあやかっていつまでも長生きしてくださるようにとの願いがこめられた縁起のいい品物です」。怪訝な表情をしていた通訳はすぐに姫のしの意味を知ってその由来を主席に語った。主席に差し出した姫のしは、日本の一老女が真心をこめてつくったものであった。説明を聞いた主席はにこにこして、「どうもありがとう。木下さんのお母さんにくれぐれもよろしくお伝えください。そしていつまでも長生きしてくださるように」と丁寧に礼を述べた。木下順二氏の老母には主席の名で土産が届けられた。その土産の品を持って帰国する西谷能雄氏は、主席の日本民族と人類への情こもる言葉を深く噛みしめていた。まさに、人間は心惹かれるところへ行くものである。一番大切な方、それも一度も会ったことのない尊敬する金日成主席に姫のしを贈った92歳の老女の心は、愛の大河へと注がれていく一条の谷水のように清く美しいものである。