本文へスキップ

アジア・ウオッチ・ネットワークはアジアに幅広い取材アンテナを張ります。

アジア・ウオッチ・ネットワークAsiaWatchNetwork


見出し特別供覧「金日成主席と日本」 27.統一朝鮮との「不可侵条約」を 28.久野忠治の所感  
日)

27.統一朝鮮との「不可侵条約」を

 1940年京大を卒業し、63年社会党から鹿児島一区で衆院に初当選した川崎寛治氏は、70〜77年の国際局長時代に第3世界外交の推進役を担当して、その間朝鮮を訪れ、1986年からは社会主義理論センター所長として「社会党新宣言」の具体化に当たった。1972年の初め、日本の国会は沖縄返還協定を巡って荒れ、他方、中国の国連復帰で世界の情勢は大きく変わりつつあった。そうした中、衆議院議員・日本社会党国際局長の川崎寛治氏は金日成主席と会見すべく朝鮮に向かった。
 出発に先立って氏は、田中角栄通産大臣に会い、日朝貿易を進めるために通産官僚の相互交流を行うべきだと提案した。東京を出発して北京で正月をすごした氏は、社会党国際副部長で『社会新報』の北京特派員をしていた館林千里氏と北京から同行した。
 1972年1月11日、両氏は念願がかない、金日成主席の接見を受けた。氏は政府庁舎に到着し、エレベーターから出たとたんに主席の出迎えを受けてすっかり恐縮し、この方は確かに人の心をつかむ偉大な人物だと敬服した。そして、よく陽に焼けた健康そうな体躯と丸いメガネに特別な親しみを覚えながら、軽い気持ちで質問した。
 「閣下は国連にどう対処するお積りなのでしょうか」。
 国際的に注目されている朝鮮の対国連動向問題に、主席は沈着な表情で、中国の国連復帰でアメリカの指揮棒に従っていた国連は変わるだろう、わが国としては国連に加入してもよく、加入しなくてもよいと淡々と答えた。その強い民族的自負と勝利の確信に、氏は深く感動した。感動冷めやらぬまま氏は再び質問した。
 「アジアの平和のために、日本と朝鮮が不可侵条約を締結する意向はございませんでしょうか」。
 主席は、日本が南側とは軍事同盟を結び、北側とは不可侵条約を締結するというのでは困る、統一朝鮮と日本との不可侵条約なら一考に値する、と答えた。統一朝鮮との不可侵条約という主席の言明に、川崎寛治氏はすがすがしい衝撃を受けた。なんと明快な回答であり、肝の太い見地であろうか。駐日米大使館の政治担当書記官が、帰国した氏を訪ねて、朝鮮に変化が見られるのでいろいろ聞かせてほしいと、根掘り葉掘り質問した。しかし、日本の外務省は全く反応しなかった。
 半年後、北南朝鮮両政府によって、平和統一に関する共同声明が発表された。金日成主席があの時、統一朝鮮との不可侵条約をと言ったのは、このことを念頭に置いて答えたのではなかろうかと振り返り、氏は、統一にかけた主席の思いの深さに強く胸を打たれた。

28.久野忠治の所感

 1972年1月、朝鮮を訪問して金日成主席の接見を受けた日本の人士の中には、日朝友好促進議員連盟会長であった久野忠治氏もいた。1910年愛知県に生まれ、49年以来、90年に引退するまで14回も衆議院に当選した氏は、自民党では珍しい朝鮮民主主義人民共和国とのパイプ役で、71年から超党派でできた日朝友好促進議員連盟会長、自民党総務局長、選挙制度調査会長、衆院予算委員長などを歴任した。
 日朝友好促進議員連盟代表団団長として朝鮮を訪れ、金日成主席に謁見した久野氏は、その時の所感を次のように述べている。
 1972年1月、わたしは、日朝友好促進議員連盟代表団の団長として朝鮮民主主義人民共和国を訪れ、親しく金日成主席にお会いすることができた。金日成主席はまことに若々しいばかりか、ますますご壮健で、国事を指導しておられた。われわれを接見された金日成主席は、おおらかに笑みをうかべながら、親しみをこめてわれわれと握手をされたが、その温かく大きな手の力づよさは、主席がいかにお元気であるかを感じさせるものであった。同時にこの力づよさは、困難な建設と革命事業で人民を常に勝利へ導いてこられた確信にみちた偉大な指導者のものであった。接見当初からわれわれを大きく包みこむようで、はじめてお会いした感じを抱かせない、まるで旧知の間柄のような親近感を感じさせる大きな度量、国内問題、国際情勢、とくに日本との問題などを明快に強い説得力をもって、しかもユーモアをまじえながら論じるするどさ、われわれをぐんぐん引っ張っていく主席は、まさに英明な現代の指導者のなかの指導者だと、つくづく感じさせられたものである。
 共和国を訪れてみて、実際に朝鮮人民の主席によせる敬愛の情が、いかに強いか身をもって感じたが、金日成主席にたいする人民の敬慕の念はまさに当然のものであった。われわれは、朝鮮人民が、朝鮮戦争の廃墟のなかから、敬愛する金日成主席の指導のもとに、歴史上、類例のない速さで朝鮮を社会主義工業国にかえた姿を実際にみて、金日成主席の指導の偉大さに、いまさらのように敬服したものである。金日成主席は早くから祖国解放と革命活動の困難な道に入り、その闘争を勝利へ導くなかで偉大なチュチェ思想を創始された。このチュチェ思想は、自国の革命と建設にたいして主人らしい態度をとるという『チュチェの確立』、すなわち、すべての問題を自主的立場と創造的立場に立って、主として自らの力で、自国の実情に即して解決してゆくという思想である。これは苦難の歴史をへた朝鮮民族の英知を反映したものであり、ひとり朝鮮人民だけでなく、われわれ日本国民にとっても非常に貴重で深奥な思想である。
 金日成主席のこのチュチェ思想にもとづいた賢明な指導があったからこそ、朝鮮のこんにちの発展がもたらされたのであろう。しかし、この思想は、ただ共和国の革命と建設を勝利に導いただけでなく、こんにち世界の複雑な情勢を解明するうえで重要な思想である。金日成主席はチュチェ思想にもとづいて常に原則を堅持しながら、同時に現実に合った非常に柔軟で幅のある政策を打ちだしておられる。朝鮮の自主的な平和統一について、統一を願うものであれば、だれでも直ちに受け入れることのできる、実に現実的な提案をしておられるのも、そのひとつである。現在の不幸な日本と朝鮮との関係についても、主席は善隣友好関係を確立するために、きわめて妥当な提案をされた。いま日朝友好を要求する声は、日本国民のなかでも高まっている。日朝友好関係にも、まさに、すべての氷を解かす春が近づいているのを切実に感じさせられるのである。わたしは金日成主席が、ますます壮健に長寿なさるよう願ってやまない。