本文へスキップ

アジア・ウオッチ・ネットワークはアジアに幅広い取材アンテナを張ります。

アジア・ウオッチ・ネットワークAsiaWatchNetwork


見出し特別供覧「金日成主席と日本」   71.左幸子氏の思い出  73.貴党に感謝する  
日)

71.左幸子氏の思い出

 映画女優の左幸子氏は1975年4月末から5月にかけて、日朝国交正常化国民会議代表団の一員として朝鮮を訪問し、金日成主席の接見を受けた。氏は、今村昌平監督の『にっぽん昆虫記』で女の歓びと悲しみを演じて多くの映画賞を独占し、77年『遠い一本の道』では監督も手がけた。以下は、彩流社刊行の『明日に向かって』に掲載された氏の訪朝印象談である。

――平壌から板門店(パンムンジョム)まで各地をごらんになったご感想は。
 左:空港から約30分間、車に乗って平壌に向かうわけです。ちょうど田植えのまっ盛りで、広大な土地が全部耕され、苗が植えられていました。山はきれいに段々畑にしてあるかと思えば、もも、りんごなどの花がいっぱいに咲いていました。とにかく緑と花が多いのですよ。10日間、朝鮮に滞在して、本当に感心したのは、こうした都市づくりです。平壌では風にゆられたポドナム(柳)があたり一面に種をまき散らし、まるでサマースノーのようでした。ライラックの花も満開でした。東京も平壌も同じような焼野原から出発したのですが、平壌は人間が王様、人間が主人公という考えを基本にして都市を復興したんですね。オンドルも人口100万の都市に実に一カ所から全家庭に配るセントラルヒーティングで行っている、これはおどろきですね。一事が万事こうなんです。パリもすばらしい町だと思います。美学的に。あれはナポレオンがつくりました。でも美と機能をかねそなえた現代の本当の都市というのは平壌ではないでしょうか。美しい街を歩く婦人もすてきですよ。みなさんパーマをきれいにかけて、薄化粧していらっしゃる。私は人の服装だけでなく、平壌という都市そのものが芸術だと思いました。
――映画撮影所の見学はいかがでしたか。
 左:私、映画撮影所にいくなんて思いもかけませんでした。ご存知かも知れませんが、世界中の映画撮影所はきたないのが常識。しかもひじょうに不便なところにあります。私はそういうイメージしかないから、撮影所なんていやよといったの。でもいったらびっくり仰天。とにかく敷地は広大で、学校あり、託児所ありで、ないものがない。すべての働く婦人が心配しなくてもよいりっぱな施設がととのえられていました。
私のように、子どもをおいて6カ月もアフリカだ、アンデスだと歩いた人間にとっては大変うらやましい。やはり、外国へ行って一番気になるのは、人にあずけてどうしているだろうかと心配ばかりしている子どものことです。
――5月1日のメーデーはどうでしたか。
 左:私、メーデーの夜に踊りがあると聞いたんです。会場の金日成広場には一万人の男女が集まっていました。踊りながら、とても感動したことは若い女性たちの色とりどりのチマ・チョゴリ。絹なんです。そしてにこやかな笑顔です。労働で日に焼けてるが、肌は実にきれいなんです。一つの輪ではなく、つぎからつぎへと踊りの輪にはいっていくんですが、みなさん、仲間に入れて下さる。そのときの手のひらのがっちりした固さというか、厚さというか、私は労働した手をしっかり握ったとき、体中から、汗が出そうな感動をおぼえたんです。
――市民の生活、暮らし向きでとくにお感じになったことは。
 左:私、日本人の顔にゆとりがないことを考えます。これは一つには人間の情操や創造性を押さえる教育をしているからだと思うんです。そういう意味で私は学生少年宮殿をみたとき、ずいぶん考えさせられました。この前、テレビのニュースにでて10分間、朝鮮でみてきたことをしゃべったんです。そうしたらそれをみた方から電話があったんです。その人は「左さん、ニュースの時間にお出になって月謝も医療費もタダで、家賃がほとんどなくて、物価は下がる、税金はないという夢のような国のお話をなさっていらっしゃったんですが、いったいどこの国ですか」というのです。ありのままの朝鮮の姿を日本人にもっと知ってもらいたいです。
――左さんご自身、教師の経験をおもちですが、共和国の教育と子どもたちをつぶさにみられた感想は。
 左:学生少年宮殿に行ったとき自分が好きな学科、音楽、文学、科学、芸術などを選んで、学習している姿におどろかされました。また、こどもたちに自主独立の精神が生き生きと根づいていること。こんなことがありました。子どもたちが20人ぐらい隊列を組んで歩いている。先生はいないの。きけば小学校4〜5年生の子どもなんだけれども、子どもたちだけで見学にいった帰りなんですって。びっくりしました。子どもたちはくったくがありません。どこへいってもにこにこと出迎えてくれる。うれしいものでした。そして、歌とか踊りを披露してくれるんです。私はかつて高校の体育の教師でした。だからよけい強く感じたのかもしれませんが、小学校2〜3年の子でさえ、3〜5分間平気で体操演技をします。あの体力には感心するとともに、あの年齢から訓練のシステムがきちんとできていることをうらやましい、と思いました。子どもの体は8歳から13歳ぐらいのときに基礎ができるわけですよ。ところが日本は今、どうでしょう。こういう年齢のとき、本人の意思におかまいなく、塾へ通って受験勉強に追われるのですね。体力なんてつくはずがありません。私は、朝鮮のあの学生少年宮殿のように、自分の才能をのばすすばらしい施設があり、子どもたちも自分で好きなものを選び、自分たちでそこへ通っていることに非常に強い関心をもちました。小さな子どもたちも実にのびのびしています。とにかく、子どもの教育に金はおしまず、徹底してやっていますね。
――今年は国際婦人デー65周年になる年ですが、共和国の婦人をみてとくにお感じになったことは。
 左:まず、ほとんどの女性が職場にでていますね。それを可能にするあらゆる条件があるし、保障されている。働く婦人は育児の心配をしなくてもよい。日本のばあいですと、婦人は才能があっても、発揮できる場がないので非常にもやもやした雰囲気があると思うんです。朝鮮のばあいは、男とか、女とかいうんじゃなくて、すべての人々にそれぞれの能力に応じた道が開かれています。だから、職場で仕事をきちんとやっている婦人もへんに肩ひじを張ってはいません。余裕があるんですね。
――近頃「北の脅威」などという宣伝が盛んにされていますが、直接目でみ、肌で感じた共和国北半部の雰囲気はどうでしたか。
 左:私が帰ってから日本の記者がやはりそういうことを聞くのです。ところが北朝鮮には緊迫感なんて何もありません。あるのは400億本のとうもろこしを植える運動と今年の豊作のかぎをにぎる田植え作業への熱気です。兵士も一生けん命、田植えを支援していました。軍務についている軍人に出会ったのは、38度線の板門店だけです。では、ここは緊迫しているかというとそうでもない。38度線以北の非武装地帯はとにかくぎりぎりいっぱいまでえんえんと耕されているんです。農民は豊かな水田や畑で農作業をしていました。のどかなもので、平壌郊外の農村と何の変わりもありません。第一、あれだけ汗水たらして建設しておいたものを戦争で、灰にしようなどと考える人はいないでしょう。戦争をする気ならあんなに懸命になって建設するわけないでしょう。
――最後になりましたが、平壌を発たれる前日、金日成主席にお会いになられたわけですが。
 左:1時間5分の会見でした。主席は最初に女性の方、お変わりありませんかといわれ、まず、やさしく気分をほぐして下さいました。お話のなかで非常に印象深かったのは、ベトナムはベトナム、カンボジアはカンボジア、朝鮮は朝鮮であると、自主独立の姿勢を強調なさったことでした。朝鮮の統一は3大原則と5大方針にもとづいて行う、この政策には何の変化もない、とおっしゃいました。つまり、あくまで自主的、平和的に行うということなのです。主席のお話には、自分たちがいままでやってきた祖国建設というものへの誇りと自信が満ちあふれていました。私は何よりも、生涯、祖国の光復独立のためにたたかい、今なお祖国を繁栄に導いていらっしゃる方にお目にかかったことを大へん光栄だと思っております。主席は笑顔のすてきな方です。
私たちに友人として接していることが、その笑顔から感じられました。会見の終わりに一人一人、主席と握手するわけです。私はこのとき、主席が、都市づくりなどにもみられるように、「美」に対しても深い心をおもちの方であることに大変感動しましたといったら、主席は私に、今度いらしたときにはもっとゆっくり参観して下さい、とおっしゃいました。私が日本人として一番強く感じるのは、朝鮮人の独立心です、自主独立の精神なんです。チュチェ思想は人間がもっとも大事だという思想です。これが朝鮮民主主義人民共和国の
個性をつくりあげていると思います。

73.貴党に感謝する

 1975年7月13日、金日成主席は日本社会党朝鮮問題対策特別委員会代表団と会見した。主席は歓迎の意を表した後、あなたがたが日本社会党成田知巳委員長の挨拶を伝えてくれたことに感謝する、わたしは成田委員長が寄せた手紙を読んだ、成田委員長は元気かと聞いた。その日は初伏だった。主席は、わが国では今が一番暑い時だ、わが国ではこれから三伏の極暑が始まる、わが国では昔から一番暑い時期を三伏の候と言いならわしている、今日はその初伏だ、初伏・中伏・末伏の約30日間はわが国で一番暑い時期だ、と気候の挨拶を述べたあと、本題に入った。

 「現在われわれ両党間の関係は密接であり、われわれは友人として付き合っています。わたしは、あなたがたがこれまで社会主義建設と祖国統一のための朝鮮人民のたたかいを積極的に支持し、励ましてくれたことを有り難く思っています。日本で朝鮮人民のたたかいを支持する多くの行事を催してくれたことに感謝するということを、貴党の委員長と中央執行委員会の各委員、全党員に伝えてください。 あなたがたはこの度、わが国に来てからも社会主義建設と祖国統一のための朝鮮人民のたたかいを励ましているだけでなく、両党間の関係を発展させるために極力努力しています。わたしはこれについて、あなたがたに感謝します。わたしは、日本社会党代表団のこの度のわが国訪問が、わが党と貴党の関係をさらに発展させるうえで大きな意義を持つと考えます。わたしは、あなたがたがわが国を訪れたことをうれしく思います。朝鮮で多くのことを見て、日本で朝鮮人民を支持するたたかいを全国的範囲でいっそう活発に繰り広げなければならないと考えたということですが、感謝します。………今、われわれは立春から210日目に襲来するという『二百十日』の台風だけを心配しているのであって、ほかに心配はありません。台風に見舞われると農作物が倒れたり折れたりするので困ります。ここ数年、台風による被害を防ぐため品種改良に力を入れた結果、最近は台風の影響をさほど受けていません。………あなたがたは日本のアメリカ追随政策に反対してたたかっており、われわれはアメリカ軍の南朝鮮占領政策に反対してたたかっていますが、われわれはこのたたかいで意見が一致しています。ともにアメリカ帝国主義の侵略策動を破綻させるためにたたかいましょう。もちろん、闘争の過程には難関もあるでしょう。難関のない闘争というものはありえません。このように、わたしは問題を楽観視します。なぜなら、歴史の流れは社会発展の法則に従って、人民が要求するとおりに発展しているからです。日本人民のたたかいと朝鮮人民のたたかいは緊密に結びついています。日本人民が日本のファッショ化に反対してたたかうなら、それは南朝鮮人民のたたかいにとって大きな励ましとなるでしょう。わたしは、あなたがたが知りたがっている問題について大体以上のように答えればいいのではないかと思います」。
 代表団は謝意を表し、決意を表明した。主席は、日本に帰ったらより積極的にたたかうと言われたが、あなたがたはこれまでも立派にたたかった、わたしはあなたがたが日本で立派にたたかっていることに感動している、と言った。 一行は主席の健康を祈って別れを告げた。