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見出し特別供覧「金日成主席と日本」 74.たびたび会えば親しみが増す 78.人生には歌もあれば踊りもある   
日)

74.たびたび会えば親しみが増す

 訪朝中の自由民主党アジア・アフリカ問題研究会朝鮮問題小委員会の田村元委員長を団長とする自民党有志議員団は、1975年7月27日、金日成主席と会見した。主席は自民党有志議員団の訪朝に謝意を表し、みなさんを熱烈に歓迎する、わたしは地方視察に出掛けていたために早くあなたがたに会えなかった、御了承願いたいと挨拶した。
 代表団団長は、われわれは朝鮮を訪れてなんの不自由もなく過ごしており、このことを満足に思っている、今日、金日成主席にお会いできたことは無上の光栄です、と挨拶を返した。主席は、わたしもあなたがたに会えて嬉しく思う、団長先生が今後われわれと近しい仲になるとおっしゃったのはいい考えだ、と言って朗らかに笑った。一同の笑いのおさまるのを待って、主席は語を継いだ。
 「わたしはあなたがたから旧友に会ったような印象を受けました。われわれが今後たびたび会えば交情が深まり、親しみが増して、一切の不信と誤解が解消すると思います」。
 主席は長時間にわたり代表団の質問に答え、祖国の統一問題と朝日関係問題については特に具体的に述べた。質問に答えた主席は一同を見回して、わが国には名勝が多い、あなたがたがわが国に長く滞在できるなら
元山(ウォンサン)にも行き金剛(クムガン)山にも登ってみるのがいい、元山には景勝の松涛園(ソンドウォン)もあれば 明沙十里(ミョンサシムリ)もある、今に平壌と元山間に高速道路が出来たら元山まで3時間ほどで行けるとして、団長に向き直った。
 「団長先生がわが国へまたおいでになることを希望します。この次においでになる時は御夫人とお子さんたちもお連れになり、わが国に長らく滞在して休息を取り、金剛山にも行ってみるのがいいでしょう。団長先生がわたしに贈り物を下さったことを有難く思います。わたしは今日、あなたがたと話を交わし、親しくなれたことをうれしく思います。宇都宮徳馬先生をはじめ、日本にいるわれわれの近しい友人たちにわたしの挨拶を
お伝え下さるようお願いします。あなたがたがわたしの健康を祈願するとおっしゃられたことに感謝します」 。
 代表団一同は晴ればれとした表情で主席に別れを告げた。

78.人生には歌もあれば踊りもある

 自由民主党有志議員団の中には参議院議員の大鷹淑子氏もいた。1920年旧満州撫順に生まれた大鷹淑子氏は、18歳の時に中国人李香蘭の名で俳優生活を始め、やがて関東軍の慰問歌手として名声を上げ、戦後もしばらく女優、歌手として活躍した。その後、政界入りして1974年に自民党から出馬し、参議院議員に当選した。氏は参議院議員時代、2度朝鮮を訪問している。金日成主席は自民党有志議員団との会見中、氏に言葉をかけた。
 「わたしは、大鷹淑子先生が往年の李香蘭であることをよく知っています。以前、抗日武装闘争をしていた時、雑誌であなたを見たことがあります」。
 氏はどきりとした。主席にだけは知られたくなかった前身、関東軍の慰問歌手として侵略に協力したいまわしい経歴を名指しで指摘されたのである。氏は身の縮む思いがし、消え入るような声で、過去の不祥を詫びた。主席はほほえんだ。
 「先生は昔の過ちを許してほしいと言われましたが、人生にはさまざまな曲折があるものです。人生には仕事ばかりがあるのではありません。人生には歌もあれば踊りもあるのです。これも非常に大切なものです。先生は、昔は朝鮮の民謡『トラジ』を歌ったが、長い歳月が流れて歌詞が思い出せないので今日は歌えなかった、また朝鮮を訪れる機会があったら朝鮮の歌の歌詞を覚えてくると言われましたが、感謝します。またお越しください。われわれは先生を熱烈に歓迎するでしょう」。
 氏は胸をなでおろし、そして感激した。なんと度量の大きな方であろうか。このような方だからこそ100万の関東軍を翻弄し、折り重なる難関にもめげることなく余裕綽々と国づくりを指揮していけるのだ。……帰国後、大鷹淑子氏はこう回顧している。
 「1975年7月20日出発の自民党訪朝団の1人として朝鮮を訪問してまいりました。今回の訪朝団参加の誘いを受けた時私は『よろこんで』と二つ返事で答えました。インドシナ後、緊張が伝えられる朝鮮半島はどうなっているのか。第三世界の理解と連帯を得ている朝鮮民主主義人民共和国とはどんな国だろうか。アジアの社会主義先進国としてどのように国内建設に取り組んでいるか。中近東やヨーロッパを飛び歩いた時と違う、じっとしていられない衝動すら感じられました。しかし、この夏の短い旅は、そうした私の『感傷旅行』をすっかり吹き飛ばしてしまいました。南北分裂の事実は、生意気なようですが、政治家としての私に新しい使命を与えてくれました。平和を確実なものにするために、政治家としてやらねばならないことがたくさんある、そんなことを教えてくれた旅でした。北京から平壌への汽車の旅は昔と少しも変わっていませんでした。
 真夏のうだるような暑さの中、コンパートメントの中によこたわっている時、かつて仕事で通った4泊5日の日々を思い出しました。今同じ道を走っているが、行き先は東京ではなく平壌である。思い出の土地を訪れてるという感慨よりも新しい見知らぬ国への期待が二重三重に私をかりたてる。車窓のながめを追いながらよく眠れぬまま、北朝鮮入りしました。平壌に着いた時、私が驚いたのは、目にしみるような緑の美しさです。
文字通り『公園の中に町がある』のです。木々の名前をたずねます。プラタナス、アカシア、キリ、ポプラ、イチョウ……。こんなに緑が整理された町が他にあろうか。花も多い。車で郊外を走ると何十キロという道筋に切れ目なく花が咲き乱れている。これは人民学校の生徒たちが受け持ち区域を決めて植えているのだという。私の好奇心は一層かりたてられます。
 朝鮮戦争(現地では祖国解放戦争という)で完全に焦土と化した町を、こんなにも短期間で緑の町にしたのはただごとではありません。どうしたらできるのですか、お会いする人ごとに聞いてみました。答えは『偉大な指導者・金日成主席』です。初めのうちはなんとなく抵抗を感じていたのですが、日がたつに従って理解できるようになりました。主席は年少のころから革命一筋に歩んできた人ですが、同時に慈父としてなんともいえない温かさをそなえています。私を見つけると、李香蘭さんですね、昔あなたに雑誌や映画でお目にかかったことがあります、と声をかけられました。私は飛び上がらんばかりに驚きました。出発前、宇都宮徳馬先生から植民地時代のことには悪感情を持っているからと注意されたからです。平壌入りしてからも、いわれはしまいかと心配していたことをズバリといわれたのです。それでいて非難するようなところは少しもありません。主席は、人生には一生懸命働くばかりでなく歌を歌い、アコーデオンをひくことが大切なのです、と理解を示されました。こうした主席の明朗な態度は、この国の民族性でもあるようです。歌を歌えば鈴のように響きます。踊りを踊れば実にのびのびとしています。自らの持てる力をフルに表現したいというあけっぴろげな民族性はうらやましい限りです。もっともそれを支えているのは安定した生活環境です。……」。
 金日成主席の大いなる包容力に心を打たれた大鷹淑子氏は、帰国後も変わることなく主席への欽慕の念を温めて日朝の友好親善に尽くし、末期の日々にも主席の思い出を語り、なつかしんだという。