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見出し特別供覧 「金日成主席と日本」  79.日曜日も休まずに  80.どんな質問も意に介さず   
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79.日曜日も休まずに

 1975年8月31日、金日成主席は朝鮮を訪問した猪又久夫編集局長を団長とする共同通信社代表団と会見した。その日は日曜日であったが、主席は休息も取らずに代表団に会い、提起された質問に回答を与えた。
 「わたしは今日あなたがたに会えたことを非常にうれしく思います。今日は日曜日なので、あなたがたとゆっくり話をすることができます。まず、あなたがたが手紙をくださったことに対し謝意を表します。わたしはこれまで日本の多くのジャーナリストと会いました。共同通信社の記者とも会い、『朝日新聞』編集局長や『読売新聞』の記者など、日本の各新聞社の人たちとも会いました。そして今日はまた、こうして共同通信社代表団のみなさんと会うようになりました」。
 こう挨拶した主席は代表団の質問に懇切に答え、最後に朝日関係問題について語った。
 「わが国と日本との関係問題については、すでにいろんな機会に話しているので、簡単に触れておきましょう。日本はわが国の隣邦であるため、われわれは日本と好ましい関係を結ぼうと考えています。現在、朝鮮人民と日本人民との関係にはなんの問題も存在しません。しかし日本の保守派は、南朝鮮の反動層とは仲よく過ごしながらも、われわれに対しては敵視する一辺倒政策を実施しています。彼らはこうすることによって、わが国の統一に助力するのではなく、大きな障害をつくり出しています。わが共和国政府は、日本との関係を正常化することに反対せず、日本政府がわれわれとの関係を改善しようとするならば、いつでも歓迎するでしょう。われわれは、日本人民と日本の言論界と社会各界の進歩的人士が、朝鮮人民の祖国統一偉業に積極的な支持を寄せていることに対し非常に感謝しています。今後、日本が隣邦である朝鮮の平和的統一のために助力してくれるよう望みます。この程度であなたがたの質問に対する回答にかえたいと思います。今後またわが国を訪問してくれるよう望みます」。

80.どんな質問も意に介さず

 安井郁氏は、真理を愛し、真理に忠実な学者であった。1972年4月、金日成主席の接見を受けて帰国した氏は、チュチェ思想の研究と普及に全力を尽くした。氏は、1972年9月、学界の同僚たちと相談して日朝社会科学者連帯委員会を立ち上げ、同年10月、第1回研究会を開いたのを皮切りに、チュチェ思想についての研究セミナーを定期的に運営した。
 1974年、朝鮮の科学文化代表団を招いて、北海道から九州に至る全国各地で学術交流を行い、両国社会科学者の連帯を強め、日本におけるチュチェ思想の研究、普及を促すうえに貢献した。同年10月、東京では第5回チュチェ思想科学討論全国集会が開かれた。集会場の正面にはたいまつの標識がかかげられていた。永久不滅のチュチェ思想の偉大な生命力を象徴するこのたいまつは、チュチェ思想を人類の前途を明るく照らす灯台、全世界の進歩的人民の闘争を力強く励ます旗じるしとする、安井郁氏の信念を語るものでもあった。氏はこの集会の基調報告の中で、金日成主席のチュチェ思想を真髄とする思想、理論、方法の全一的体系を「金日成主義」と呼ぶことを提起し、この思想こそ現代の唯一の指導思想であると述べた。
 他方、氏は『千里馬朝鮮ははばたく』『チュチェの国朝鮮の社会主義の特徴』など、チュチェ思想が具現された朝鮮を紹介、宣伝する文を出版物に発表した。氏は、チュチェ思想の研究、普及のためなら、全国のどこへでも出掛けて講演をし、座談会を開いた。氏は、時代と人類が提起する学問上、政治上の広範な問題について、偉大な教師である金日成主席直々の回答にあずかりたいという思いが日ましにつのった。1975年6月、氏は自分の知りたい問題を書面で主席に提起することを決心し、問題を6点にまとめた。その時、氏は質問の回答を主席からじかに得られるとは考えていなかった。ところが、同年9月10日、主席は日朝社会科学者連帯委員会代表団として訪朝中の安井郁氏一行を招いたのである。
 玄関で彼らを出迎え、執務室へ導きいれた主席は、数年前に氏と会ったことを回顧し、安井郁先生はわたしの旧友ですと言い、その健康状態を尋ね、タバコも勧め、しばらく談笑した後、氏が書面で提起した質問に答えた。チュチェ思想と朝鮮革命について、祖国統一の問題について、国際情勢全般について、第三世界・発展途上国における新しい社会の建設とその展望について、そして社会主義の正当性について……。安井郁氏は書面で提起した以外の問題についても質問し、主席の回答を得ていたが、その間に時間はかなり流れていた。もう席を立たなければと思ったが、どうしてもいま一つの問題について主席の見解を聞きたくて、思い切って口を開いた。
 「申し訳ありませんが、いま一つお聞きしたいのです。これは次の機会に回答してくださっても結構です。……主席は現代の特徴はなんであるとお考えでしょうか」。
 主席は豪快に笑い、その問題については安井先生の方がもっと詳しいでしょうがと言い、こう回答した。
 「現代は自主性の時代です。今日地球上の多くの国の人民が自主性を求めており、あらゆる形の従属に反対してたたかっています」。
 後日、氏はこのことについて、「チュチェ思想を研究してきたわれわれは、現代が自主性の時代であるということを自明のように思いがちだが、なんぴともはっきりと意識しなかったときにこの鋭い指摘をしたのは、
金日成主席の天才的な洞察力をもって初めて可能なことである。このことをわれわれは銘記し、自主性の時代という規定のもつ深い意味と内容を正しく把握し、実践しなければならない」と語っている。主席と別れる時間になった。談話は終わり、主席は氏に、もう一度おいでください、昼食を一緒にするつもりだったが時間が許さない、他の代表団に会わなければならないので、ブドウ酒を一杯乾して別れましょうと言って、氏のグラスにブドウ酒をついだ。
 「金日成主席の万年長寿を祈ってこの杯を乾します」 。
 「安井先生の健康を祈って乾しましょう」 。
 1975年9月、再び主席の接見を受けた安井郁氏は、哲学の根本問題から現実の政治問題にわたる広範な問題について説明を受けた。その時の感激を氏はこう回想している。
 「そのとき、日本の一人の科学者に謙虚な態度で接し、あらゆる質問に懇切丁寧に答えられる主席を目のあたりに見て私は、自分の考えあぐんでいる学問上や政治上のいかなる問題をも提起できる偉大な同志についにめぐりあったと実感した」。
 安井郁氏は1907年大阪に生まれ、30年に東京大学政治学科を卒業した。43年には東大教授、52年には法政大学教授、53年には杉並区図書館館長、公民館館長を務めた。55年に福竜丸事件を契機に原水爆禁止日本協議会を創設して初代理事長に就いた。65年に辞任し、その後、原爆の図・丸木美術館館長、日朝社会科学者連帯委員会議長を務めた。58年に国際レーニン平和賞を、60年にドイツ平和賞を受賞し、チュチェ思想国際研究所初代理事長を務めた。