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見出し特別供覧「金日成主席と日本」    永遠の追憶  
日)

  永遠の追憶

 人間は自分の死期を予知できないといわれるが、金日成主席は自身の生についてよく知っておられたのではないかと思われる。
 抗日革命戦争によって奪われた祖国を取り戻し、アメリカ帝国主義侵略者を撃退する祖国解放戦争を勝利へと導き、われわれの正義の大業に挑戦する革命の敵の策動をことごとく粉砕する反帝階級闘争の途上で頭に霜を戴いた主席の最大の心労の一端は、朝鮮民主主義人民共和国に非友好的に対する日本政府の反動的行為に関するものであったと、わたしは考えている。
 朝鮮の解放後、半世紀の長きにわたって朝日関係の険しい道を歩み続けた主席の苦悩はいかばかりであったろうか。その間、主席が会った外国人は数え切れないが、なかでも日本人の数は群を抜いている。主席は1994年7月8日に他界したが、6月19日に会ったのは三木武夫元首相の未亡人三木睦子女史と二人の孫であり、それは主席が生前最後に会った日本人たちであった。日本との善隣友好を願った主席の思いは痛切なものであったが、ついにその念願はかなえられなかった。
 思うに、7月の天地を揺るがす連日の豪雨に打たれながらも亡き主席の名を叫び、血涙をしぼった朝鮮人民の胸中には、アメリカ帝国主義者に対する憎悪に劣らず、主席を苦しめてはばからなかった日本反動勢力に対する怒りが渦巻いていたと言っても過言ではない。正義心に燃え、真理に忠実であった主席は世を去ったが、朝鮮人民と世界の進歩的人民を温かく見守ったその情愛は、いまもなお人々の心の奥に強く染みている。
 主席が朝日関係の正常化を願う日本の諸人士をいかに真情をもって遇したかは、本書のどのページをめくっても十分すぎるほど分かるであろう。本書には、主席に会った政界の人士をはじめ学者や作家、記者、はては名もない女性などの民間人についての話が収録されている。北海道から本州、四国、九州、沖縄に至る全日本を視野に入れ、わが胸に抱くかのように、日本人民の喜びと悲しみ、苦痛と憎悪を理解し、励ました金日成主席。朝鮮と日本に親善のかけ橋を渡すべく心血をそそいだ主席をわずらわせ、平然と罪を犯した者は、歴史と人類の前に伏して恥ずべきである。

 かえりみれば、日本は朝鮮をやむことなく苦しめてきた。朝鮮を武力で併合しながらも、さまざまのまやかしの「条約」をもって世界を愚弄し、占領に抗して独立を叫んで立ち上がった朝鮮人民に苛酷な弾圧を加えて100余万人を殺戮し、840万人の朝鮮人を強制連行して死の戦場や工事場に駆り出し、20万人の朝鮮人女性を日本軍慰安婦に仕立て、あげくの果てに大多数を殺し、朝鮮の言葉と文字、姓名の抹殺をはかり、無数の文化財と資源を破壊、略奪した日本帝国主義侵略者。
 戦後も日本政府は過去を反省、悔悟することなく、厚顔無恥な朝鮮敵視政策を追求し、いまなおこれに熱を上げている。朝鮮民族が日本の反動勢力を心底憎悪するのは故なきことではない。しかしながら、こうした状況下にあっても、真理と正義を重んじ、変わることなく朝鮮との友好親善をはかり、不断の努力を傾注してきた多くの日本の友人たちがいることをわれわれはよく知っている。
 その一人――三木睦子女史。女史は、主席の没後6年目の2000年、83歳の高齢で3度目に朝鮮を訪れた時、こう語った。
 ――日本は一日も早く朝鮮人民にもたらした大きな不幸と苦痛について心から謝罪し、補償すべきです。私は、いくらも残っていない余生を日朝両国間のいまわしい過去を一日も早く清算し、親善関係を回復させることに捧げるつもりです。私は、日朝国交正常化が実現されるまでは、目をつぶろうにもつぶれません。――
 本文でも触れたように、女史は日朝関係の改善をはかって、1995年日朝国交正常化促進国民フォーラム代表幹事、1995年〜2000年「朝鮮の子どもたちにタマゴとバナナを贈る会」代表、2000年〜2012年日朝国交促進国民協会副会長を、その間「北南朝鮮と日本の友展示会」実行委員会代表を務めた。このようにすばらしい追憶を残した日本人は、本文で紹介された人たちのほかにも数知れない。その一人ひとりの忘れがたい姿をまぶたに描きながらペンを走らせた筆者もまた感に堪えない。

 金日成(キムイルソン)主席と金正日(キムジョンイル)総書記、金正恩(キムジョンウン)第一書記の身近で長年、外交問題にたずさわってきた筆者は、本書『金日成主席と日本』を執筆しながら、日本の若い世代が過去の歴史を正しく認識し、朝日関係の改善に尽くしながらも意を果たせずに世を去った先覚者たちの霊をなぐさめるために努めるべきではなかろうかと思った。
 『労働新聞』に掲載された話であるが、朝鮮に帰化した一日本人女性が、一時人の道を踏みはずした息子が朝鮮労働党の援助で再生の道を歩み、入党の栄誉に浴したとして、金正恩第一書記に感謝の手紙を送ったとき、第一書記はあまりにも嬉しくて、彼を見守り押し立てた党組織に感謝を送るという出来事があったが、この一事をもってしても、日本人に対する金日成主席の情愛の歴史は、金正恩第一書記に受け継がれていることが分かるであろう。金日成主席が朝日両国人民の善隣友好のために費やした労苦とその輝かしい業績はとこしえに語り継がれるであろう。