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  「アセアン(東南アジア諸国連合/ASEAN)は一つ」ではない。「アセアンは一つ一つ」だ。
 一つの国の中も多民族、多宗教、多文化で奥深い。そんなアジアに迫る。
 アジア取材歴35年以上のベテランスタッフ(特別顧問)が執筆。



 国連事務総長  12年 5月16日
 国連の潘基文・事務総長が5月初め、ラングーン(ヤン
ゴン)で、民主化運動の指導者アウン・サン・スー・チー氏
と会談した。スー・チー氏との会談は事務総長就任以来初
めてで、意思疎通を通じ、民主化の後押しを図りたい意向
だ。これに先立ち、潘事務総長は、テインセイン大統領と
会談している。新聞報道によると、事務総長は、大統領に
対しては、スー・チー氏との対話を深め、国民和解に力を
尽くすよう促し、スー・チー氏に対しては、柔軟性を示して
大統領と協調するよう要請した。事務総長のビルマ(ミャン
マー)訪問、スー・チー氏らとの会談――タンシュエ時代に
は考えられなかった出来事である。
 ミャンマーが変貌している。2014年にアセアン議長国とな
ることも決まり、議会補欠選挙では、スー・チー氏が総裁
の野党・国民民主連盟(NLD)が大勝している。この変貌
は、大統領の個性、リーダーシップによるものなのか。大
統領は、軍政時代の首相であり、就任当初は「元議長の
かいらい」と見られていた。が、その後、スー・チー氏が
「彼は真に変化を望んでいる」と信頼を表明するまでにな
った。
 その変身の理由については、さまざまな見方があるが、
一つには、大統領が国際的視野から自国を見つめる冷静
さがあったことだと思う。国軍は、1988年からの軍政下で
権力基盤を強化した。その成果を踏まえ、軍政下で生じた
課題に取り組むことが急務となった。内政が動揺しない程
度に民主化の方向を認める一方、中国一辺倒から欧米
や日本との友好関係構築を目指しながら、国連を意識し
た柔軟な外交に方向転換していく、ということだ。潘事務総
長の訪問受け入れは、その意思表示でもある。
 ところで「ミャンマー(ビルマ)と国連の関係」といえば、年
輩の方が思い浮かべるのがウ・タント元事務総長だろう。
歴史学を学んだ教育者で、1957年、国連大使となった。ハ
マーショルド国連事務総長が航空機事故で死亡したのに
ともない事務総長代理となり、1962年に事務総長のポスト
についた。
 第二次大戦後、ビルマには独立闘争を貫いた勇気ある
有能な人物がたくさんいた。コメと資源が豊富で自由で希
望の国だった。アジアの豊穣な国の一つだった。ウ・タント
氏は、そうした安定した豊かな祖国に支えられ、事務総長
を10年間つとめた。敬虔な仏教徒として修養と研鑽を積
み、奥深い教養は、尊敬を集め、キューバのミサイル危機
など冷戦下のいくつかの難問を乗り切った。
 テイン・セイン大統領の「人物像」は、よく伝わってこない
が、これまでの行動、言葉などから、軍人精神とは一味違
う、ウ・タント氏らにつながる「アジアの哲学を持つ知識人」
のような印象を受ける。イラワジ川のデルタ地帯の村で、
幼年期を過ごしたという。家計は苦しかった。高校卒業
後、士官学校に入ったのは学費の心配がいらなかったか
らだ。質素な生活が身についていたためか、「清廉」な印
象を受ける。軍の腐敗が問題となる中、汚職に染まらなか
った。数々の利権がころがり、それがすぐ手元に入る軍事
独裁政権の構造を考えれば、汚職に無縁だったことは、
評価できよう。国を思う心、その将来を思う心が強かった
のだろう。
 スー・チー氏との昨年8月の会談では、大統領は、立場
の違いを超え、国の発展のために協力をと呼びかけた。
スー・チー氏は当初、会談に消極的だったが、大統領はス
ー・チー氏と親交がある学者を経済担当の大統領顧問に
任命するなどで気持ちを和らげた。会談の部屋に「建国の
父」と言われるスー・チー氏の父、アウン・サン氏の写真を
飾るなどの心づかいも示した。軍政時代には見られなかっ
た「アジアの気配り」がそこにある。  




潘基文・国連事務総長




潘基文・国連事務総とテイン・セイン大統領








テイン・セイン大統領とスー・チー女史
(2011年8月)



 <これまでに掲載した原稿>

 2012年5月〜8月 ・指導者交代

 2012年1月〜4月 ・日本のODA ・ラオスを巡る日中の綱引き ・インド台頭の影 
  ・米海兵、ダーウィン進駐の背景 ・経済と大統領 ・マレーシア民主化の道


 2011年9月〜12月 ・国境の川〜鴨緑江とメコン ・島嶼国家・フィリピンの憂鬱 ・ASEANとミャンマー
  ・シアヌーク前国王とカンボジア現代史 ・タイ洪水(1)治水と政策 (2)水門 (3)親水と治水 
  ・包囲網〜中印の確執(上/下) ・タイ特有の母系制社会 ・ビルマ(ミャンマー)の春 ・枯葉剤 

 2011年5月〜8月 ・タイ初の女性首相 ・悪質インフレ ・係争地を観光に ・民主化ドミノ ・クワイ河 
  ・風雲急を告げるカムラン湾  ・シンガポールの新しい風 ・「越僑」 ・スリン事務局長 ・「災後」と原発
  ・東ティモールのASEAN加盟 

 2011年1月〜4月 ・東南アジアからみた震災 ・「五つの鍵」としてシンガポールの歩んだ道
  ・震災支援にみるタイの優しさ ・中東デモとインドネシア ・ラオス証券取引所 ・マレー系優遇策の見直し
  ・ベトナム共産党大会 ・スーチーさんからの手紙


 2010年9月〜12月 ・回想2010年 ・指導者の歴史的評価 ・ビルマ(ミャンマー)とバークレーマフィア
  ・水ビジネス ・コールセンター ・アジア回帰

 2010年5月〜8月 ・国際結婚 ・シンガポール基準 ・ラングーン事件 ・新中間層 
  ・オーストラリアの首相交代 ・中印の確執/中国の真珠の首飾り作戦 ・相続税考 ・アキノ新大統領
  ・消された革命(ビルマ) 

 2010年1月〜4月 ・開発独裁   ・トップセールスの明暗恐 竜 ・ダ ム ・トップセールスの明暗 
  ・ニューヨークフィルの文化外交 ・ASEAN海の経済圏 ・トラ(Tiger) ・昇竜(ベトナム)と中国 ・新BRIC's


 2009年9月〜12月 ・ポルポトの残滓 ・スーチーとメガワティ ・隣国外交(タイ、カンボジア)
  ・続、人口のボーナス ・人口のボーナス「異端」の抵抗 ・西の大国インド  

 2009年5月〜8月 ・大国の詩人(インドネシア) ・孤立国家の共鳴 ・花と兵隊(タイ) ・戦争の大義名分
  ・中国の膨張 ・トップの資質と国民の選択 ・プエブロ号 ・東南アジアの小国と大国
 
 2009年1月〜4月 ・オーストラリアはアジアか ・政局混乱、国の悲しい性(タイ) 
  ・東南アジアで第二の人生、日本鉄道車両 ・タイの秘宝オレンジ蝙蝠フンセン首相 ・アジア象 
  ・プルポト特別法廷 ・政治の季節(インドネシア) ・ラオスの歌姫 ・クラスター爆弾  ・川イルカ
  ・イスラム教義 ・ホーチミン ・経済大統領 ・和平共変

 2008年12月 ・ベール ・金星紅旗(ベトナム) ・日朝交渉 ・南沙諸島 ・アブドラ氏(マレーシア)


著者紹介
 中村 浩一郎
  1950年 東京生まれ。 
  1974年 早稲田大学卒業後、新聞社に入り、ソウル、バンコク特派員を歴任。
  現在、韓国、東南アジアを中心に取材を続ける。
 
 小堀 新之助
  1955年 群馬県生まれ。
  1979年 千葉大学卒業後、テレビ局で報道番組制作に従事。
  現在、アジアを中心に取材を続ける。


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