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イエン・サリ   (2013年4月4日)


イエン・サリ元首相兼外相






トゥールスレイン博物館
 虐殺などで100万〜150万人の住民を死に至らしめたカンボジアの旧ポル・ ポト政権。そのナンバー3だったイエン・サリ元副首相兼外相が3月、プノンペ ンの病院で死去した。87歳という高齢だった。イエン・サリ氏はポル・ポト元首 相とは義理の兄弟の間柄で、政権崩壊後もゲリラ戦を続けたが、1996年に政 府軍に投降した。
 その後、恩赦が与えられたが、2007年に逮捕され、「人道 に対する罪」などで起訴された。大虐殺を裁く特別法廷で行われていたイエン・ サリ氏の裁判は、死去により自動的に終了した。

 この「イエン・サリ死去」のニュースに接し、新聞社の東南アジア担当特派員だ った時代の記憶が鮮明に浮かびあがってきた。私がバンコクに赴任したのは、1998年4月。ポル・ポト政権が崩壊したのは1979年だったが、ポル・ポト元首相は、 タイ国境付近で生き延びていた。ポル・ポト元首相やその政権を支えた幹部、軍人が、タイ国境付近を中心に隠然たる勢力を保持していたことは、国民和合を目 指す新生カンボジアにとっては、「喉に刺さったトゲ」だった。
 そして、私のバンコク赴任直後に元首相は死亡した。その後、ポル・ポト派の勢力は衰退の道をたどるが、元首相の死は大虐殺の真相 解明に打撃を与えることになる。つまりイエン・サリ氏ら、生き残った幹部は 「すべて元首相の指示に従ってやったこと。自分は無罪だ」との責任逃れに終始 することが予想されたからだ。

 そこで始まったのが、特別法廷だった。 この法廷はカンボジア政府と国連が合意し、設置された。2審制でカンボジア 人と国連が推薦した外国人が、判事や検事として裁判を担当。死亡した元首相や タ・モク元参謀総長を除く、元最高幹部が罪に問われたが、このうちイエン・サ リ氏の妻イエン・チリト元社会問題相は認知症のため釈放。審理が継続中のヌオ ン・チア元人民代表議会議長も体調不良で入退院を繰り返しているのが現状だ。
 死去したイエン・サリ氏は、1976年から1979年までカンボジアの外相を務め た実力者で、「大量虐殺の首謀者」とされていたが、特別法廷でもこれまで関与 を一貫して否定している。イエン・チリト、ヌオン・チア両被告も高齢で、いずれも起訴事実を否認していることから、被告の存命中に判決が下されるかどうかについて悲観的な見方が強まっている。
 こうした状況を勘案すれば、大虐殺の責任の明確化、そこに至らしめた動機など の解明は中途半端に終わることが予想される。
  なぜ、当時、被告らに「残虐な 心」が形成されていったのか。罪の裏に潜む、人の心の見えにくい闇の部分を照らし出さなければ、虐殺はまた違う場所で起きるかもしれない。旧ポル・ポト政 権の最高幹部の死は「歴史の事実の開示」を阻むだけではなく、「虐殺防止」の 道を狭めることにつながりかねない。

 いま、プノンペンは、再開発ブーム湧き、ショッピングセンターなどが続々と建 設されている。夕方になれば、川沿いの公園、緑地は人で埋まり、レストランは、 川の眺めをサカナにビールやワインを楽しむ市民や観光客でいっぱいだ。人々の 目を見ても、ポル・ポト時代を思いださせるような恐怖、不安、おびえは消え、 明るさと活気が感じられる。
 しかし、そうした雰囲気の中でも「トゥールスレイン博物館」はのぞいてほしい。当時の残虐行為を伝える「歴史の証人」だ。学校の建物だったが、刑務所として 使われ、収容された多くの市民が、ここで拷問を受けた。苦しみを味わい、死ん でいった市民の写真が並ぶ。当時のプノンペンの様子を撮影した写真もある。荒れ放題のゴーストタウン。その荒廃ぶりにがく然とする。特別法廷の成果が期待できなくとも「歴史の記憶」はだれにも消すことはできないことが分かる。 。



                                         







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