本文へスキップ

アジア・ウオッチ・ネットワークはアジアに幅広取材アンテナを張ります。

アジア・ウオッチ・ネットワークAsiaWatchNetwork


メニュー亜細亜 飛耳長目

中国とベトナム〜1000年の怨念  (2014年5月28日)


  タイ、ベトナムという東南アジアの地域大国で混乱が続いている。タイは「内政の混乱」という表現に尽きるが、ベトナムの場合は、当然ながら中国の動向が大きな変数であるうえ、米国、日本や周辺国による政治・外交的作用も読む必要がある。社会安定まのでプロセスは、なかなか予測できない。南シナ海で起きた中国船とベトナム船の衝突は、ベトナム国内で反中国デモを誘引、多数の死傷者を出し、日系企業が巻き添えを食ったのはご存知の通りだが、ベトナムに潜む「反中国感情」の激しさに
驚いた方も多いと思う。
 南シナ海での中越紛争が、国際的に注目されたのは1988年。西沙諸島で両国海軍による初めての大きな衝突が発生した。そして1992年、中国は法令制定を機に西沙諸島および南沙諸島は「中国の不可分の領土」と宣言した。これを金科玉条に周辺海洋の支配を積極的に進め、ベトナムとたびたび対立してきたわけだ。
 それでもベトナム政府は、平和的関係の維持を基本方針に、国民の反中デモを禁止・規制するなどの措置をとってきた。今回は、ベトナム政府の堪忍袋の緒が切れ、反中デモを容認、それが暴動化したのだ。こうしたベトナム人の中国に対する不信、嫌悪感を物語るエピソードがある。
 
 太平洋戦争が終わり、ホー・チ・ミンが「ベトナム民主共和国」の独立を宣言(1945年9月)。南部では英軍が、北部では中国国民党軍が進駐し、日本軍の武装解除にあたった。国民党軍は「共産党をつぶし、ホーを捕まえる」を唱えた。結局、ホーは旧宗主国のフランスに接近し、その軍隊の駐留を認めた。植民地支配の残滓を処理しないままの「親仏」の決断に、批判が高まる中、ホーはこう説明したという。「中国人の糞を一生食らうよりは、フランスのを少しの間、嗅ぐ方がましだ」。ホーの頭には「いずれ欧米のアジア支配は終わるが、中国がやってきたら1000年の間居座り続ける」があったのだ。

 ベトナムは、中国の歴代王朝から繰り返しの侵略を受けてきた。約1000年もの間、その支配下に置かれた。中国の圧政に対して立ち上がったチュン姉妹、明軍を撃破した「レ・ロイの蜂起」などは、ベトナム国民のだれもが知る史実で、その主人公の名前はいまも各地の街路名などに残されている。「反中国」は、多くのベトナム国民の感情の底にへばりつく「岩盤」と言ってよいだろう。
















                                         







English version (英語版)


Photo


ビデオ








アジア・ウオッチ・ネットワークAsia Watch Network

Bangkok, Thailand