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ASEANと2015年        (2015年1月15日)



1990年代前半のジャカルタ市内



南ベトナムの首都・サイゴン(当時)の大統領府に
北ベトナム軍兵士が臨時革命政府旗を掲げる
(1975年4月30)
 2015年は、東南アジア諸国連合(ASEAN)とそのいくつかの加盟国にとって節目の年である。ASEAN経済共同体が発足するのが、今年の末。単一の市場・生産拠点を目指すが、多種多様な様相を見せる加盟国の利害がどう調整され、一体化を実現していくのか。当然ながら巨大市場の行く末に、注目する日本企業も多い。
 東アジア各国の現代史に目を移すと、50年前の1965年に転換点を迎えている国が目立つ。インドネシアでは、いわゆる「9・30事件」が起きた。容共的だったスカルノ政権下で勢力を伸ばした共産党とその協調者らがクーデタを試み失敗したとされる事件だ。結果的にスハルト氏が実権を握った。その政権は30年以上も続く。
 シンガポールのマレーシアからの分離独立、日本と韓国が国交正常化を果たしたのも1965年だ。
 次の激動は、1975年。サイゴンが陥落し、ベトナム戦争が終結する。隣のカンボジアでは、ポル・ポト派による圧政と虐殺が始まった。ラオスでは、愛国戦線が支配権を確立し、一党独裁によるカイソン政権が発足した。インドシナ3国が揃って「歴史の転換」を経験した年である。
 ASEANが設立されたのは、インドネシアの政変が起きた2年後の1967年である。インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピンの5カ国が加盟した。本部はインドネシアに置かれた。スカルノ政権当時は、インドネシアは、マレーシアと険悪の関係にあった。

  スハルト氏の登場によりその対決姿勢がなくなり、ASEAN発足の「門」が開かれた形となる。こうして時代を俯瞰的に眺めると、1965年〜75年は、ASEANの「原型」がほぼ形つくられた10年だったといえそうだ。

 日本との関係も同様である。当時、東南アジアでは、経済大国になった日本に対する反発的な感情が渦巻いていた。「軍事侵攻した日本が今度は経済で押し寄せてきた」。それが爆発するのが1974年。田中角栄首相がASEAN歴訪中、バンコクでは反日デモが起き、ジャカルタでは暴動に発展した。
 日本は、これを機に福田赳夫首相によるる「福田ドクトリン」を掲げた。「軍事大国にならず、相互信頼を構築し、対等の協力者の立場で平和と繁栄に寄与する」という内容だ。このドクトリンがASEAN外交の指針となり、また日本からの進出企業にも信頼獲得への道標ともなった。
 今年は、国際的にみても第二次大戦終結・戦後70年の大きな節目の年である。中国、韓国との関係がぎくしゃくしている日本にとって、ASEAN諸国の歩み、その関係を改めて振り返り、「福田ドクトリン」の意味を考えたい。












                                         







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