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民主化と「反日」       (2015年12月15日)




金泳三元大統領の告別式(ソウル/11月26日)
 韓国の金泳三元大統領が亡くなった。ノーベル平和賞を受賞したライバルの金大中氏に比べ地味な存在だったが、いまの韓国の「国のかたち」を仕上げた政治リーダーだった。韓国は、民主国家であり、また「反日国家」とも指摘されるが、それは金泳三政権時代に構築された、と思うのだ。

 日本の新聞社のソウル特派員として赴任したのは、軍事政権の流れをくむ盧泰愚政権の末期の1990年。次期大統領にだれがなるか――が取材の最大課題だった。
 その動向を決める核となる人物が金泳三氏だった。ソウル大哲学科卒業後、26歳で国会議員に初当選し、野党のプリンスとして頭角を現した。1979年、朴正熙政権の独裁性を批判して国会から除名され、金大中氏とともに「民主化運動の闘士」となる。1990年には盧政権の与党などとの政党合併に踏み切り、巨大与党の総裁に就任、1992年の大統領選で当選し「文民大統領」になる。
 当時、韓国は地域対立が激しかった。政界リーダーの出身地にからむ反目である。金泳三氏の慶尚道に対する金大中氏の全羅道。朴正熙氏以降、大統領を輩出してきた慶尚道には、高速道路、鉄道、基幹産業などが優先的に建設・立地され、「全羅道は冷遇されてきた」と受け取られた。韓国社会は地縁・血縁関係が濃く、政権に連なる官界、財界、軍部などで主要ポストを握るのは慶尚道出身が圧倒的に多かった。

 1992年の大統領選挙の際、「金大中氏が当選すれば、天下が変わる。革命にも等しく、それに反発し軍事クーデターが起きるかもしれない」と真剣に話す軍人、マスコミ人もいたほどだった。結果は、金泳三氏が当選、慶尚道政権が続き、軍部関係者らは一安心、というのが実態だった。
 しかし、金泳三氏は、そうした雰囲気に反し、軍部改革を徹底的に進め、不正・腐敗を追及、全斗煥、盧泰愚の両大統領経験者を「粛軍クーデター」(1979年)や光州事件(1980年)の責任者として裁いた。二人に通じる軍内部のネットワークをつぶし、政治的影響力を持つ軍人を退役させた。
 この判断、実行力と成果があったからこそ、次の大統領の金大中氏は、軍部の動向をそれほど気にしないで民主化を深化させることができた、と思う。大統領選挙で、二人の順番が逆になれば、混乱も起きていただろう。

 民主化とともに金泳三政権が進めたのは過去の清算だ。旧朝鮮総督府の建物を「植民地支配の象徴」と解体した。竹島(韓国名・独島)に新たな接岸施設を作り、実効支配を強めた。韓国国民が、竹島問題に神経質になるのは、このころからだ。従軍慰安婦など歴史認識問題で日本を容赦なく批判するようになる。いまの「反日の原型」がここに求められる。












                                         







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