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インパール作戦と友好        (2015年5月28日)







今泉 清詞さん

 太平洋戦争が終わりに近づくころ、日本軍はインパール作戦を敢行した。インド北東部のインパール攻略を目指した作戦である。1944年3月から7月初旬まで続いたが、補給線を軽視した作戦により、多くの犠牲を出し、無謀な作戦の代名詞ともなった。敗残兵は、陸路タイ国境を目指したが、道半ばでその多くが飢えと病気で倒れた。
ビルマ(ミャンマー)とタイ国境を結ぶ道はいまも「白骨街道」と呼ばれているほどだ。

 埼玉県に住む今泉清詞さんは、その苦難を経て生還した一人である。新聞報道などによると、当時20歳だった今泉さんは、陸軍の歩兵として作戦に参加。戦況悪化―撤退となりジャングルを敗走した。マラリアにもかかったが、現地の住民に食べ物を分けてもらいながら運よく生き延びたという。

 復員後、多くの戦友が助けてもらい、また、朽ち果てた戦友の遺体を現地の人たちが埋葬してくれた、ことを知り「国の将来を担うミャンマーの若者を育てることで
恩に報いたい」と奨学会を設立した。事業で成功した今泉さんは、私費を投じて、
毎年、日本の大学で学ぶ留学生20人に月4万円を支給。
 これまでの20年の間、奨学金を受給した留学生の数は200人以上にのぼる。この中には、博士号を取得し、日本で活躍しているも多いという。今泉奨学金を授受した第2期卒業生の ティティレイ(Thi Thi Lay)さんは、わたしが勤務する大学の
「アセアン研究センター」の研究者で「今泉さんは、単に奨学金を与えるのではなく、支給日には留学生を呼んで一人ひとりにお金を手渡すのです。激励の言葉をかけながら」と話す。

 ティティレイさんは、奨学会の会合で「日本で唯一ビルマの留学生のための奨学会であるこの会は、奨学生たちに金銭的な援助をするだけではなく、愛情と友情に囲まれた自分たちの輸を広げてくれた会です。今泉会長と戦友のお父さん達が様々な困難を乗り越えこの会をここまで大きくしてくれた恩返しをしなければなりません」と述べている。

 戦後70年。中国、韓国などの近隣諸国や旧連合国から日本の歴史認識を問う声を聞く。今泉さんらの活動は、大きな歴史の流れの中ではささやかな、一つの「点」かもしれない。
 しかし、その「点」が輪を広げ、歴史を語るストーリーをつくることもある。













                                         







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