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経済発展と民主化           (2015年8月4日)





クアラルンプール
 戦後70年の節目の夏を迎えた。タイを除く東南アジアの国々は、戦火、他国の占領・植民地支配の経験を経て独立を果たした。この間、日本は復興―経済大国の道を歩み、一方、東南アジアでは、エリート軍人・官僚らを使いこなす「開発独裁」の路線を敷いてきた統治者が目立った。
 この地域では、戦後の歴史はその体制の構築の歩み、といえるだろう。

 「開発独裁」とは、「まず国民を食えるようにする」という政治的方針のことだ。
経済発展を優先し、言論の自由などを制限、国民の政治参加の道を監視する。
 そのような制限のもとで達成した経済発展の果実を国民に分配することによって、統治の正当性を主張する。この「開発独裁」という用語が、一般に使用されるようになったのが、1980年代。
 当時、その体制と指摘されたのは、フィリピン、インドネシア、シンガポール、マレーシアなどだった。
 しかし、その後、開発独裁政権は、次々とほころびをみせ、倒れていく。フィリピンのマルコス政権、インドネシアのスハルト政権…。
 いずれも長期支配下に汚職・腐敗が蔓延し、国民の不信・怒りが高まり、強権政治が崩壊していった。こうして、経済発展を目指した国の開発独裁は終焉したが、シンガポールは先進国並の豊かさを実現した後も、人民行動党による一党独裁制が続いてきた。
 

 しかし、前回総選挙(2011年)で、リー・ シェンロン首相率いる与党の人民行動党が歴史的な「敗北」を喫した。全87議席中81議席を与党が獲得したが、 事実上の一党支配が当然と目されてきたこの国の政治史において初めて、野党陣営が6議席を獲得したのだ。
 初代首相で首相の実父でもあり、開発独裁路線を進めてきたリー・クアンユー氏が今年3月に死去した。
「リー・クアンユー時代の終焉」は、開発独裁の終焉と重なる予感がする。

 そして、いま注目されているのがマレーシア、ナジブ政権をめぐる政府系ファンドの資金流用疑惑の行方である。ナジブ首相は、説明責任を果たすよう求めた副首相を事実上、解任した。マレーシア経済は政府系企業によって支えられており、政権に混乱が生じることで経済に大きな影響が出ることが懸念されている。ナジブ氏を後継者として支援してきたマハティール元首相が退陣を求めていることも目を引く。

 開発独裁路線の創始者と後継者の対立。単なる政治的確執なのか、大変動の予兆なのか。








                                         







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