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国連とミャンマー         (2016年10月18日)



ウ・タント氏(1909〜 1974)
 国連の新事務総長にポルトガルの元首相のアントニオ・グテレス氏が選ばれ、来年1月に9代目の事務総長に就任する。 グテレス氏は国連難民高等弁務官として長年、難民支援の活動を行ってきた。
 難民問題は国際社会を揺るがす深刻な問題となっており、グテレス氏の経験と能力が評価されたものと思われる。

 国連事務総長といえば、思い浮かべるのは、ビルマ(現ミャンマー)のウ・タント氏(1909〜 1974)である。1962年から1971年まで事務総長(3代目)をつとめ
た。
 教育者で、1957年に国連大使に就任。ハマーショルド国連事務総長が航空機事故で死亡したため、事務総長代理となり、その後アジア人初の国連事務総長になった。 当時は、冷戦のさ中である。約10年間の任期中、コンゴ動乱やキューバのミサイル危機などを乗り切った。
 敬虔な仏教徒として修養と研鑚を積み、瞑想にふけった。その奥深い教養と人格、反植民地主義を貫く精神力に尊敬を寄せる人々は多かった。 
 しかし、事務総長になった年、ビルマでは、ウ・タント氏を支えてきたウ・ヌー政権がネ・ウィン将軍による軍事クーデターに倒された。ここから国連とビルマの「暗い関係」が始まる。
 ウ・タント氏は、事務総長退任後も米国にとどまり、事実上の亡命生活を送ったという。ウ・タント氏の死去後、ミャンマーは、次第に軍事独裁政権の様相を深め、アウンサンスーチーさんらの民主化運動を弾圧していく。
 「国際平和と安全の維持を危うくする国」、「多くの政治犯が存在する人権のない国」――欧米を中心に国際非難が高まった。国連の場でも、その非難は繰り広げられた。
 
 ウ・タント氏が死去してから約40年。ミャンマーは民主化され、アウンサンスーチー国家顧問兼外相は、ミャンマー政府代表として国連総会で初めて演説した。スーチー氏は自ら率いる新政権について「国民は自分たちの夢と希望に沿って国を変えていくことができる政治文化を支持した」と述べた。
 その後、核実験全面禁止条約(CTBT)の批准書をソアレス国連事務次長に寄託している。ミャンマーは、CTBTだけでなく化学兵器や生物兵器など軍事分野でも一定の透明性を実現する路線に転換している。
 「アジアの哲学」を深く心にしまい国連の場で活躍したウ・タント氏。国連での「やっかいもの」から変身した祖国の底力に拍手を送っているだろう。












                                         







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