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大航海               (2016年2月24日)



ミトー


 ベトナムの最大の都市であるホーチミン市の郊外にミトーという町がある。広大なメコン・デルタの入り口の町として知られる。チベット高原に源を発したメコン川は、この辺りで、約4,500キロの長い旅をもうじき終え、川幅を広げながら南シナ海に注いでいく。

 そのミトーを15年ぶりに訪れた。メコン川クルーズが観光の目玉だ。出発点となる船着き場付近にはホテル、レストランなどが立ち並ぶ。にぎやかになった。
 川に出るとパイナップルなどたくさんの果実を運ぶ小舟が行き交う。「観光と生活の匂い」が水面に漂う光景は、以前と変わらない。そしてもう一つ変わらなかったのが、船の「目」だった。
 クルーズの途中に立ち寄った、メコンに浮かぶ小島の細流を行きかう小舟にも船首部分に大きな「目」が描かれている。専門家によると、船の「目」は、航海の安全を祈る「魔除け」の意味や豊漁の祈りが込められているとの話。ベトナムだけではなく、中国の南部の沿岸地方やフィリピン、沖縄でも見られるという。
 大航海時代、日本人は海を越え東南アジア各地に住み着いた。16〜17世紀にかけ、朱印船に乗った日本人がベトナムにやって来て、中部のホイアンに日本人町を形成した。
 南シナ海沿岸は、中国、日本やインド、中近東を結ぶ「海のシルクロード」の中継地になった。船の「目」は、そうした海の交流史の形見だろう。

 いま、日本ではそうした大航海、古代の人間による海の旅を蘇らすプロジェクトがスタートするという。アフリカを起源とするホモ・サピエンスが、大陸と陸続きだった台湾から日本列島に到着したのは約3万年前といわれる。国立科学博物館は、その古代舟を復元し、同じルートで航海するプロジェクトを推進するという。大陸から離れ、なぜ危険を冒して海を渡ったのか。どんな航海技術で、どんな思いで小舟に乗って旅したのか。

 大航海時代、朱印船で東南アジアに渡った日本人は、ホイアンだけではなく、タイのアユタヤ、フィリピンのルソン島、カンボジアのプノンペンにもたどりつき、日本人町を形成した。当時も日本人は立派な海洋民族であり、大きな「目」がある船で航海したに違いない。きっと約3万年前に祖先の「遺伝子」に刻印された航海の記憶が呼び起こされたのだろう。












                                         







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