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 ベトナム戦争/中朝秘話     (2016年9月8日)







訪中した金日成主席(右)と会談する毛沢東主席
(1975年4月、北京)
 最近、中国と北朝鮮におけるベトナム戦争にまつわる秘話が、日本の新聞に報道された。北朝鮮の金日成主席と中国の毛沢東主席との最後となる会談をした際の具体的なやり取りが明らかになったのだ。

 会談は1975年4月北京で行われた。当時、ベトナム戦争での米国の敗北が濃厚となっていた。会談の約2週間後に南ベトナムの首都サイゴンが陥落し、北ベトナムが勝利した。隣のカンボジアでは、ポル・ポト派が親米政権を倒すなどインドシナでは、共産主義勢力の拡大が続いていた時期である。
 ベトナム戦争の終結により「北が南を赤化(共産化)する統一」が実現する。朝鮮半島をめぐり北朝鮮が目指していた状況が、友好国の北ベトナムによってインドシナで実現したわけだ。これまで、この金日成・毛沢東会談については、金主席が「朝鮮で戦争が起きたら失うのは南北軍事境界線、得るのは統一のみ」と、武力による南北統一をほのめかし、それを毛主席がたしなめた、と言われてきた。会談の雰囲気などその具体的な内容は、伝わってこなかった。
 
 報道によると、金主席は会談で「彼ら(ベトナムとカンボジア)の勝利は我々の勝利と同じようなものです」と述べ、朝鮮半島でも同様に武力統一を図りたいとの考えを毛主席に持ち出そうとした。しかし、発言が「武力統一」におよびそうになると、毛主席は話をそらし、「政治の話はもうしない」と言い、約30分間の会談を終えた、という。

 金主席が、この会談で武力による朝鮮半島の統一(第二次朝鮮戦争)まで持ち出そうとした背景はなにか。対立が続いていた南北朝鮮は、1972年、突然のように平和的統一に向け「自主、平和、民族大団結」を織り込んだ「南北共同宣言」を発表している。この歩み寄りは、ニクソン米大統領の訪中、日中国交正常化など大国主導の情勢変化に対応した表面的なものだった。
 「南北共同宣言」の発表後、韓国の朴正熙大統領は「維新憲法」を公布、金日成氏も新設された国家主席に就任するなど双方とも独裁的傾向を強めていく。
 体制の優劣を激しく競うようになった南北朝鮮。ベトナム戦争での「北側の勝利」に心を強くした金主席が、「一気に武力で」と考えたのか。しかし、米国との国交正常化を進めていた中国にとっては、迷惑な話だった。この会談が転機となって、北朝鮮が中国に頼らずに、核開発など自主独立路線を進めた、との見方もある。












                                         







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