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スリン元外相(タイ)        (2017年12月10日)



スリン・ピッスワン(Surin Pitsuwan)元タイ外相


ナコンシタマラート駅
 タイのスリン・ ピッスワン元外相の死去は、突然で驚きだった。享年68歳。一時は国連事務総長の有力候補、という声もあった。
 スリン氏は、1997年から2001年にわたって、タイの外相を務めた。アジア通貨危機で落ち込んだ経済の立て直しや、独立直後の東ティモールの平和構築などに奔走した。私が日本の新聞社のバンコク特派員をしていた時期と重なる。2008年から12年まで、東南アジア諸国連合(ASEAN)の事務局長を務め、経済統合の進展に尽力した。ミャンマーにもひんぱんに訪問し、民主化を後押しし、国際社会への復帰を支援した。こうした功績・活躍も印象に残るが、亀裂が走りがちな昨今のタイ社会を考える時、スリン氏の存在そのものが貴重だった、といまさらながら思う。

 スリン氏は、タイ南部ナコンシタマラート県に生まれた。米ハーバード大で博士号を取得し、1986年下院議員に初当選した。タイは、仏教徒が95%を占め、イスラム教徒は4%しかおらず、ほとんどが仏教徒だ。
 しかし、マレーシアに近い南部は、イスラム教徒が多く、特に深南部三県のマレー系住民のほぼすべてがイスラム教徒である。スリン氏の父はイスラム教師で、本人もイスラム教徒だった。ここが重要な点である。
 アジア通貨危機(1997年)でチャワリット政権が崩壊、チュワン氏が首相再登板となった。このチュワン政権で外相を務めたのがスリン氏である。イスラム教徒を重要閣僚ポストの外相に抜擢したのだ。
 タイからの分離独立志向が強い南部と政権とのパイプを維持する、というチュワン政権の「知恵」を感じた。この間、政権と南部住民の鋭い対立・衝突は、あまりなかったように思える。

 しかし、2001年の総選挙でタイ愛国党が大勝し、タクシン政権が誕生してから様相が変わる。タクシン首相は、ビジネス感覚を政治に取り入れ「経済成長追求と貧困の撲滅」を最優先に掲げた。南部地域との融和、パイプ作りは重要視されなかったといえる。結果はテロ事件の多発である。強引な治安対策がイスラム教徒の反発・報復を呼び、それに対応するため、さらに治安対策を強化する、という悪循環を繰り返し、膨大な数の犠牲者が出た。スリン氏のような存在がタクシン政権にいれば、と思った。

 スリン氏は生前、日本での講演で「タイの民主主義は、今後どうあるべきか。また民主政治に軍がどのように関わっていくのか―ということを考えていかなくてはならない。タイの民主化には時間が必要であり、日本からの助言、支援、共感、理解、そして忍耐が期待される」、「タイ政治がどのような状態にあっても、タイと日本が政治および経済の分野において良好な関係を保つことに疑いの余地はない」と話していた。日本にとっても惜しい方を亡くした。












                                         









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