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Extra#29            「時間」奪還の真意






社会科学院歴史研究所所長
チョ・フィスン(曹喜勝)博士




仰釜(ぎょうふ)にっき
 日本の国会にあたる北朝鮮の最高人民会議常任委員会は、同国の標準時を現行より30分遅らせる「平壌時間」を設定し8月15日から適用する政令を発表した。日本との時差はなかった、15日以降は日本、韓国より30分遅れることになる。
 朝鮮半島の時間は日本と同じ、東経135度を基準とするタイムゾーンだった。
しかし、「大韓帝国」時代に今回と同じような日本と30分差の標準時を適用した時期があったが、1910年の日韓併合で日本と同じ時間帯の運用になった。
 北朝鮮の社会科学院歴史研究所所長・チョ・フィスン(曹喜勝)博士は「平壌時間」制定の背景を「自分たちの時間さえ日帝に奪われたもので、朝鮮人民は時間を取り戻した」として次のように語った。

<問い>なぜ今標準時間を直すのか?
<チョ博士>今まで朝鮮と日本は9経帯時の日本の標準時(東京時間)を使ってきました。8経帯時(北京時間)と9経帯時の時差は1時間です。世界中のホテルや空港の時間表に「朝鮮時間」、「平壌時間」、「ソウル時間」というものありません。それは朝鮮固有の時間が日本に奪われたからです。
<問い>時間も盗まれるのか?
<チョ博士>盗まれます。日帝は1905年、強盗的な「乙巳5条約(日韓保護条約)」をねつ造して朝鮮の外交権を強奪しました。そして1906年から、朝鮮にあるのすべての侵略的出張所で日本の標準時を使用するようにした。正午(12時)を日本出張所では12時30分にしました。
<問い>1905年以前には朝鮮で時間をどのように測定したのか?
<チョ博士>わが国には新羅の慶州の瞻星臺と高麗開城の満月台近くの天文台、高句麗王宮址の安鶴宮近くの天文台(平壌民俗公園周辺)などがありました。先祖が天文台(瞻星台)を設置して天文を見たのは太陽や月、星の観測、気象気候観測など様々でした。このうち、太陽の観測は時間測定につながります。太陽の観測を通じて十二支に即して時間を測定、制定していました。 

 わが国の日時計として一番有名なのは「仰釜(ぎょうふ)にっき)」です。15世紀以降、わが先祖は日時計の「仰釜日?」、水時計の「自撃漏(じげきろう)」で時間を正確に測定してきました。「仰釜にっき」では人の頭の頂上に陽が着いた時、人の影が隠れた時が正午でした。
 つまり、正午は太陽が地平線上から子午線を経過する瞬間(12時)ということです。
 わが国で正午は近代的経帯時によると東経127度30分です。現在の正午と数百年前の「仰釜にっき」による正午は大きな差がないです。
<問い>朝鮮時間を如何にして日帝が強奪したのか、朝鮮の標準時をどうして日本時間にあわせたのか?

<チョ博士>時間を強奪したというのは朝鮮固有の独自の時間制度をなくし、標準時間を日本時間に無理に合わせたことを意味します。
 わが国は国際的な時経帯によると8経帯と9経帯の間に位置しています。経帯時(時間)とは経度によって地球の表面を24個の経帯に分け、それぞれの経帯で同じ時間を使うものです。球体(正確には楕円)の地球を15度ずつ分けて24個の経帯に区分し、1経帯の間に1時間の時差を設けたものを経帯時と言います。わが国は8経帯と9経帯の間に位置しています。8経帯には平壌、ソウルをはじめ陸地面積の55%、9経帯には45%があります。従って、わが国は8.5経帯の時間を使用する方が正しいのです。
 わが国は長い間、独自の時間制を使用してきました。「仰釜にっき」を改良したものと「自撃漏」、また欽敬閣に設けられた「玉漏機輪」などで測定した時間です。これは今の8経帯と9経帯の間に属する時間でした。しかし、日帝は「(東京からの)指示を円滑に」執行させ、朝鮮人たちが日本の統治時間に慣れるようにするため、日本時間を押し付けたのです。日帝は1910年、朝鮮を完全に占領した後、山川と土地、文化遺産などを強奪するとともに朝鮮独自の時間も完全に奪ったのです。
 日帝が朝鮮占領25年と30年を「記念」して編纂した「施政25年史」(185ページ)と「施政30年史」(82ページ)に、次のように記されています。「明治39年(1906年)6月2日以来、半島に於ける日本帝国の諸官署のみは日本の標準時を使用明治41年(1908)年4月1日以後は半島に於ける日韓両国の官署共帝国(日本)中央標準時に対し30分の時差を置いて、標準時としたが、合併後内地との関係が益益密接となり、相互の交通(往来が)亦頻繁を加えるにいたり、これを統一する必要性認め、明治45年(1912年)1月1日より朝鮮の標準時は中央標準時に據ることとした」。 
 日帝は搾取と略奪、朝鮮の永久的奴隷化の下心で朝鮮独自のの時間を奪ったのです。時間は人間の生活と密接に結び付いています。宗主国の日本にとって植民地朝鮮の時間が同じであれば強盗的な指令も「円滑」に施行できます。
 日帝はいわゆる「内鮮一体」、「同祖同根」を唱えながら「皇国臣民化」しようとしました。正午(12時)にサイレンが鳴ると皆、日本の「皇居」に向って「正午黙祷」、「宮城遥拝」を強いたのです。「天皇」に忠良な「皇国臣民」に化するために、日本時間を押し付けたのです。
<問い>70年間も経っているのに、はなぜ時間を取り戻さなかったのか?
<チョ博士>今日の「東京時間」は日帝の残りかすだから直さなければならないと論議されました。しかし、定着した標準時間を直すのは簡単なことではありません。
 とはいえ、そのままに放っておくこともできません。我々は、祖国解放70周年に際して、日帝の残像を清算し、朝鮮固有の標準時間を「平壌時間」と命名しました。これは100年来の快挙です。


           (AsiaWatchNetwork 小堀 新之助)











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