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Extra#39           目指すは体操"強国″






ホン・ウンジョン選手





キム・チュンピル監督










アジア大会体操女子(2014年/韓国仁川)で
金メダル獲得を喜ぶキム・チュンピル監督(右)






 体操競技の魅力は難しい技をいかに美しく見せるかの技術、だろう。男子体操競技では、日本は1960年ローマ五輪から5大会連続で男子団体総合で金メダルを獲得していた。いわば「体操の黄金時代」だったが、その後28年間、金メダルから遠ざかった時代もあった。男子体操競技は時代の流れで主役が激しく入れ替わる。
 一方、女子体操は1928年のアムステルダム五輪から実施された。1984年のロス五輪からは「新体操」も正式種目になった。旧ソ連、ロシア、米国などが依然として中心だが、これから北朝鮮が不気味な存在になるかもしれない。
 北朝鮮のスポーツ選手にとって最高の名誉である「人民スポーツマン」の称号を持つキム・チュンピル(1961年生まれ、)さんは「平壌体育団」で体操の監督を務める。彼女は体操競技で優秀な選手を育てた実績を持つ。
 彼女の監督・コーチ経歴で一躍脚光を浴びたのが、1991年、米国で開催された第26回世界体操選手権大会だ。この大会で手塩にかけて育てたキム・グァンスク選手が段違い平行棒で優勝した。当時、その段違い平行棒演技は世界中を脅かせ、「キム・グァンスク技」と命名された。
 また、2008年のワールドカップ体操競技大会と2008年(第29回)北京五輪、第25回ユニバーシアードなどで活躍し、数多くの国際大会で金メダルを獲得した女子跳馬のホン・ウンジョン選手もキム監督の愛弟子だ。
 監督暦30年を過ぎるキム監督に選手育成の秘訣などを聞いた。

質問:どうして体操選手になりましか?
監督: 平凡な労働者家庭で生まれた私は6人姉妹の5番目です。幼い時から体操に趣味を持って、10歳から黄海北道沙里院市課外スポーツ学校で体操を習い始めました。当時は姉のキム・チュンソンさんが平壌体育団体操選手に選ばれた後です。
 私は1972年8月、全国スポーツクラブ体操競技で金メダルを2個取り、翌年に平壌体育団選手に選ばれ、本格的な選手生活が始まりました。
質問:選手時代の成績は?
監督:選手として活躍したのは9年間で、長いとは言えません。1979年4月、(旧東)ドイツで開催された競技大会で3位となりました。その後、足の損傷で選手を引退、監督になりました。
質問:監督になった動機は?
監督:祖国は私の夢を実現してくれました。しかし(成績は満足なものでなく)国の恩恵に報いられなかった自責の念がありました。それで、後進を育成するのが責務だと思い1982年10月から監督を務めました。初の成果はキム・グァンスク選手を育てあげたことです。2003年の第37回世界体操選手権大会で準優勝のガン・ユンミ選手も私の弟子です。今、二人とも平壌体育団の監督として活躍しています。
 それから2008年北京オリンピックで金メダルを獲得したホン・ウンジョン選手とその妹も私が教えました。ホン・ウンジョン選手は私が教えた8ヶ月後の2006年7月、第3回アジア体操選手権大会で優勝しました。
質問: 選手育成の秘訣は何ですか?
監督:選手らの体質的特性に合う技術指導はもちろん、精神力の培養を重視しました。国の恩恵に報いようとする選手らの精神力は競技の勝敗に大きく影響します。私はキム・グァンスク選手を育てたことにより、1990年、功労スポーツマン称号を、2008年の北京オリンピックの後は人民スポーツマン称号を授かりました。それから2006、2008、2009、2013〜2015年には国の10大最優秀監督に選ばれました。2年前、近代的な住宅も国から授かり、祖国の恩恵を身にしみて感じています。
質問:お子さんも体操選手ですか?
監督:23歳の娘が一人いますが 平壌国立サーカス団の俳優です。彼女は板飛びをしています。

今後、後進育成で大きな成果を収めることを心から祈ります。

(AsiaWatchNetwork  村上知実)











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